スポーツ~スタッフMの場合~

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A490198b_2.jpgこんにちは!なで肩のスタッフMです。

ちっちゃな頃からなで肩で、12でコケシと呼ばれたよ。

とっくりみたいになだらかで、掛けたカバンは、みな落ちた。

解ってくれとは言わないが、以上の様なことがあったのでなで肩がコンプレックスでした。

 

母は幼少期の僕の後姿から将来なで肩になると予測していたのか、5歳の頃からスイミングスクールに通わせてくれました。

水泳を続けておりますと自然と肩幅が広くなりますので、それを狙っていたのかもしれません。

小学生の間は選手育成コースと言った本格的なコースには行かず(行けず)、基本的な泳ぎの型をみっちり体にたたき込んでおりましたので、さほど体型に変化はありませんでした。

中学生になり、選んだ部活は勿論水泳部でした。

スポーツ、特に球技全般は非常に苦手でしたので、早々に地表でのスポーツを選択肢から除外したわけです。

水泳部のシーズンは早い時は5月から始まり遅い時は10月中旬頃に終わりを迎えます。よってシーズンの始めと終わりは大変寒い思いをするのです。シーズンオフの間はランニングや筋トレに専念し、来シーズンを待ちわびます。

 

そんな部活生活を送っておりますと徐々に筋肉量は増し、肩幅も広がり、コケシやマッチ棒と言った悪意あるあだ名で呼ばれることは無くなりました。でもめでたしめでたし・・・とはなりません。

確かにそれまでよりはマシな体型にはなったものの、なで肩は依然としてなで肩のままで、むしろなで肩のまま肩幅が広がったためなで肩レベルが上がるだけといった結果に終わりました、僕の青春。

よってなで肩に悩む方に言います。水泳でなで肩は改善されません、はい。

もちろん僕の水泳生活は、何も心のダメージを増やすためだけにあったわけじゃありません。同級生や先輩後輩先生などの豊かな人間関係の構築や、試合や大会に出て練習成果を発揮したりなど、様々な経験を積むいい時間でありました。

 

ところで皆さんは水泳の試合とはどんなものかご存知でしょうか?

オリンピックや水泳大会テレビなどをご覧になられた方なら想像しやすいかと思います。

しかし、見る側と泳ぐ側とでは当然ながら感じるものが全然違います。僕はもっぱらフリー(クロールが一般的だがどの泳法でも良い)の50Mや100Mなどに出場しておりました。

大会の大きさにもよりますが、この種目は人気が高いのかエントリーする人数が結構多いのです。

しかしプールのコースは多くてせいぜい10コースといったところ。250名の選手が一気に泳ぐわけにはいかないので、あらかじめ自分の出せるタイムを算出し、それと一緒にエントリーします。そうして集まったエントリーを、タイムの遅い者から順に8名ずつ選出し組を作っていきます。

コースの振り分けは組の中でエントリータイムが速い者ほどプール中央寄りに設定されるので、競技終盤に差し掛かるとプールの中は大抵綺麗な3角形型に選手が並ぶことになります。そして組ごとにどんどん泳いでいき、タイムを競い合うのです。

僕はエントリータイムをあえて遅めに設定しエントリーをしておりました。理由はビリになるのが嫌だったからという大変不純なもの。お陰で自分の泳ぐ組の中で最下位になったことはなく、上位にランクインし悦に浸っておりました。

 

そして高校3年生最後の試合、すなわち人生最後の試合も変わらず少し遅めのタイムでエントリーし試合に臨みました。

飛込み台に上がり念のためゴーグルをぐっと押さえて精神統一。この瞬間の緊張感は今でも鮮明に思い出します。

審判がレーザーピストル(光と音だけが出る物)を頭上に掲げる頃などは神経が極限まで研ぎ澄まされ、時間の経過する感覚がやや遅く感じるほど。・・・というかこの試合は遅すぎました。

審判の「用意」の号令でぐっと体に力を入れ飛び込みに備え、ピストルの音とともに解放。

人生最後の泳ぎは本当にあっという間でした。

タッチパネル(圧力を感知し選手のゴールを記録するパネル)に13年分の思いを叩きつけ、プールから上がりました。すると審判団からナレーションが。

 

「ただいま、4コースを泳ぎました森脇直樹選手はフォルススタートのため失格となります」

 

人生最後の試合を失格で締める。原因は、審判の「用意」の号令からピストル音までの間がかつてないほど長かったため、体が少し揺れてしまったからでした。

プールサイドから応援してくれていた仲間たちからメガホン越しに「直樹〜〜〜!!オメデト〜〜〜!!」と爆笑され、水泳人生に幕を下ろしたスタッフMでした。

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スポーツ~S等氏の場合~

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今月はスポーツです。
Sとーは、子供の頃からスポーツ少年でした。
例えば近所の家のピンポンダッシュ、早喰い競争(昼前に如何にお弁当を食べるかという競争)、ゲームセンターでの手の動きの訓練など、毎日がスポーツです。


ところで以下は私のスポーツ歴です。

・サッカー
毎日新聞のサッカーチームに入っていましたが、当時サッカーは人気がなく(特に女子から)、それが理由で辞めました。

・野球
ピッチャーでしたが、私がマウントで投げると、ボールが不思議とバッターに当たるという謎の現象のため、やむなく辞めました。

・柔道
小学校に入る前にやっていました。もっとも受け身の練習が痛くて辞めました。

img017.jpg・水泳
一応選手コースの前まで行きましたが、もっと普通に呼吸したいと思い辞めました。

img018.jpg・空手
小学校5年生くらいからやっていますが、琉球空手のため、敵を攻撃でないので辞めました。

img016.jpg登山
近くのジャングルジムはすべて制覇しましたが、遭難して以来、トラウマです。

img019.jpg・レーシングカート
レーシングカートやFJ1600というのに乗りましたが、車酔いがひどく、辞めました。

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以上です。

スポーツ~スタッフKの場合~

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こんにちは!・・・最近このブログは過去の暴露になっている気がしてどうも落ち着かないスタッフKです。

スポーツ!!私には縁のない世界の話です。ちなみに見た目で100%バレーボールかバスケットボールをしていたと言われますが、無駄に背が高いだけで小学生の時の子供バレー以降、特にたしなんだことはありません。

スポーツに関して言うと、そもそも私は走るのが遅い。なのにどうしてか「速そう」と勘違いされて、非常に辛い小・中・高校生時代を送りました。できるだけ、リレーに巻き込まれないよう、真っ先に「障害物競争」に立候補していたのを痛く思い出します。

唯一クラブ活動として運動部に入っていたのは高校生の時の剣道部。友人の仮入部に付き合っていただけのはずが、いつの間にか選手として始めることになりました。

中学生から始めるのが一般的な剣道では、高校からだと結構ハンデがありました。当時の女子剣道部は人数が足りず、全部で5人だったため初心者でもいきなり試合に出されるところから始まりました。ある意味スパルタ。

2年半ほどのクラブ活動で初段になりましたが、試合にはなかなか勝てなかった。

だけど1本入った時、審判3人が自分の色(赤か白)の旗を一斉に上げるその瞬間が気持ち良くて、それだけは今でも覚えています。

指の付け根は太くなるし、肩に筋肉はつくし、打撲の青あざはいつもあったけど、道着に袴を付け、10キロくらいの防具を装備した時の静けさが好きでした(耳が面でふさがれるため)。視界も遮られるので相手しか見えなくなり、静けさの中で自然と集中していきます。

今思えば、茶道にも通じる静と動が剣道にもあると思う。フォームが美しくなければ強くなれない、と教わった時は不思議に感じたけれど、無駄のない動きは強く、結局美しいのだと思えます。

 短い期間しかできませんでしたが、忘れられない好きな競技です。

 

スポーツ

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今月のテーマはスポーツです。万年筆店とスポーツ。最も相応しくないテーマという気もしますが、無茶なお題にも果敢に挑みます。

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同年代の多くの男の子と同じように、私も野球ばかりしていました。小学校3年生から高校生の途中まで野球しかしていなかったと言って大袈裟でなく、ひとつのことしかできないのは今も変わっていません。

子供の頃は、スポーツも勉強もしないといけなかったけれど、今は全てのことを仕事に結びつけてすることができるので、自分にとっては恵まれた状況で幸せだと思っています。

でも子供の頃も全てを野球に結び付けてしていればよかったのかと、今になって思ったりしますが。

 

野球が好きだったけれど、プロ野球の選手の道具に関するこだわりを知ることに、とても興味を持っていました。

バット、グローブ、スパイクなど、選手の話で道具に関することが本などで出てくると、何度も繰り返し読んでいました。

王さんはローリングスのミットを使っているとか、福本選手はカンガルー革のスパイクを履いているなどという話です。

ミズノの野球用品のカタログで、各選手のモデルの解説があって、それはワクワクしながら何度も見ていました。

阪急の山田投手は重くて大きなグローブを好み、阪神の小林投手は軽くて硬いグローブをミズノと開発しました。

万年筆ももっと有名作家と万年筆を共同開発したらよかったのにと思いますが、そういった商品は私が知る限り、梅田春夫さんとプラチナの共同開発の3776ギャザードくらいしか思い当たりません。

 

道具の手入れに関する話も大好きで、長島監督がグローブはちゃんと手入れしないといけないと、手入れの仕方などを分かりやすく書かれたものがあって、その部分が好きで何度も読みました。

グローブには、ドロースと呼ばれる固形のオイルのようなものを塗り込みます。使っているとすぐに革がカサカサになってしまいますので、ドロースをよく塗って革を保護してあげる必要がありますが、この作業がとても好きでした。

そういう手入れを全くしない人も同じチームには必ずいて、その気持ちがよく分かりませんでした。でも野球の上手い下手とはあまり関係がなかったような気がします。

グローブの質は硬式になると急に良くなって、厚く、キメも細かくなりました。

スパイクもなるべくきれいな真っ黒な状態にしたくて、靴ズミを塗って磨いていましたが、それは大人になっても変わらず、会社員時代、あまり良い靴は履いていなかったけれど、マメに手入れはしていました。

今すごく靴が好きで、暇さえあれば靴の手入れをしたいと思うのは、子供の頃から変わっていない、スポーツについて考えて気付きました。

子供から学生の間、野球に没頭して覚えたことはあまり残っていないけれど、道具の手入れをする心はその頃覚えたものだったのかもしれません。(Y)

懐かしの文房具~スタッフMの場合~

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懐かしの文房具・・・と申しましても、諸先輩方と比べると懐かしいには程遠いような気がしますが(バカにはしていない)、ひとつだけ語ることが出来るものがあります。

それがこちらのペンケースです。
 
森脇画像1.jpg
 
随分汚れてしまっていてお恥ずかしい限り。
このペンケースは僕が5歳の時に母が買い与えてくれたもので、その時はもっと鮮やかで綺麗な水色をしており、青色好きの僕にとってはとても好みのペンケースでした。
このペンケースには名前があり、その名も「Whose Foods?」
これでもかと言う程に様々な食べ物のイラストが描かれており、そこも僕のツボを突いておりますますお気に入りになっていったのでした。
さすが母。
皆様に取ってもお馴染みのイラストが多いのではないでしょうか?
が、しかしよーくご覧ください。
 
森脇画像3.jpg
 
そう、微妙に違うのです。本物と。
これに気がつくのに2年の歳月のも歳月を要しました。
気が付いてからというもの、このペンケースに対する愛着が増しに増し、高校2年まで使い続けておりました。
ちなみにこのペンケースにくっついている謎の球体。
この違和感の塊のような存在はポマンダーと申しまして、中にセラミックの玉が入っており、それに香水などをつけておくとお気に入りの香りを持ち歩くことが出来ると言う優れ物です。
香の道に出会う以前はこんな感じで香りを楽しんでおりました。
さて、これだけで終わるとパンチが弱いのでもう一つご紹介いたします。
 
森脇画像5.jpg
 
約40年前のコクヨのレポート用紙です。
母の荷物を整理していた時に発見(まだ存命)。
いろいろなフォントで書かれたアルファベットがいいデザインだなぁと思います。
僕はもちろん使ってはおりませんが、何故だかとても懐かしいものに触れた気がします。
40年の歳月を経て身につけた黄ばみがいい味を出していますね。
気になる中身がこちら。
 
森脇画像2.jpg
 
どうやら母は勉強熱心だったようです。
ブルーブラックで書かれた難しい熟語とその意味は今なお色褪せることなくしっかりと残っており、母が万年筆を使っていた大切な思い出の品として僕の手に渡って来てくれました。
母を見習い、頑張っていきたいと思ったスタッフMでした。

懐かしい文具~Sとー氏の場合~

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おはようございます。こんにちわ。こんばんわ。Sとーです。
今月のタイトルは懐かしの文房具だったように思います。(最近P店に行っていないので忘れた)。
このタイトルを聞いた時に最初に私の灰色の脳細胞(ポワロ風)が思いついたのは、まだ私がピヨピヨのピヨちゃんだった頃に文具店で見たある筆記具です。
それはショーウィンドウの中にあり、たしかシャープペンシルだったと思います。

私がそれを記憶しているのはそのボディーが水色ですごくきれいだったからです。色のカラフルな万年筆みたいな色です。丁度、デルタのマリーナピッコロとそっくりでした。(ほんとにこんなかんじです ↓)

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その筆記具は店のショールームのまん中に鎮座していましたが、幸い私を家まで連れってとはいっていなかったので、そのまま当時の業務である、学校終わりから夜中までは、近所の公園などの外回りに出ました。
ところでわたしは子供の頃からかなり変わっていたみたいです。小学校の2年生のときは授業中に外の景色を見ていて、丁度そこから自分の家がみえるものですから、そっちに気を取られていた事がしょっちゅうあります。(私の部屋も見えたので昼間誰もいない部屋に誰かいないかなとその影を探していたりしました。)

で、私の変人ぶりの一つとして、私が当時使っていた筆記具があります。それは鉛筆でもボールペンでもなく、昔の製図用のペンでした。
それは「カラス口」と呼ばれる製図用の道具で、インク瓶にペン先をけると、カラスの口の間にインクが溜まり、そのまま書きます。

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しかもけっこう書けます。なぜかそこに味わい深いものを当時の私は感じ取り、学校の勉強のとき(よってこの目的ではほどんど使用せず)や、受注を受け、サンダーバード2号や基地等の設計図を描いていました。

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懐かしい文具~スタッフKの場合~

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懐かしい文房具。・・・そのお題が決まって周りを見渡してみましたが、特に語れそうなものはなく、仕方なく記憶をたどることにになりました。

当時を振り返ってみると、文具にこだわるというよりもただ絵を描くのが好きだった記憶が蘇ってきました。

子供の頃、新聞のチラシの裏に絵を描くのが大好きでした。もちろん、学校のノートで一番に使い切るのは「自由帳」。

チラシにも種類があって、私は鉛筆できれいにかけるザラザラ系の紙が好きでした。ザラザラ系は鉛筆で描けたけど、つるつる系はボールペンでしか描けなかった。細い単調な線しか出ないボールペンが苦手だったので、ザラザラ系で裏が白いチラシを見つけた時はすぐに半分に折ってストックしていました。

新聞入れにストックされていた裏が白いチラシは、私が絵を描く以外にも、母が料理で小麦粉やパン粉をまぶす時や、ケーキを焼くときに粉を量る時の下敷きとしても活躍していました。庶民だなあ。

 

でもそのうち、禁断の筆ペン(何となく絵に使ってはいけない気がしていた)を使い始め、当時本当に綺麗だなぁと思っていた「女形」の梅沢富美雄を描いたことがありました。

当時小学6年生の私は歌番組で「夢芝居」が流れると、梅沢富美雄がそのまま出て来て歌うとがっかりし、たまに女形で舞を披露してくれるとテレビにくぎ付けになりました。ホントに一番、きれいだと思っていました。

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筆ペンで描き始めたのが何となくノッてきて、修正液で白塗りまでしてしまいました。これは母が気に入り、長年実家の片隅でフォトフレームに入れられていた奇跡の1枚です。裏のチラシは当時の不動産のものでした。

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当時の修正液と言えばこれ。乾くまでしばらくかかるし、でこぼこするから上からの筆記は難しかった。

今は形も変わり、ペンタイプやテープも発売されていますね。(私はせっかちなので修正テープ派です)

結局思い出せたのは絵ばっかり描いていた子供時代・・・モノにこだわることを知らなかった時代のことでした。

ちなみに弟が中学生の時、500円もするぺんてるの製図用シャープを買ってきたのを、変わった子・・と思っていたことも思い出しました。

今はそんなことをキレイに忘れ、数万円の万年筆を複数本所有することとなったのでした。

 

 

懐かしの文房具

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今月のテーマは「懐かしの文房具」です。各人が文房具の思い出について語ります。

 

一番欲しいと思っていたおもちゃはめったに買ってもらえなかったけれど、両親は私たちに本と文房具を買い与えるお金は惜しまなかった。

文房具は多分母が好きだったと思うけれど、今の自分の姿は図らずもその教育の成果なのだと思うと、何か可笑しい気分になります。

母の言うことに、特に勉強しなさいという言葉にいつも反発していて、なのに母が買い与えてくれた文房具が今の自分に繋がっていると思うと皮肉に思えます。

しかし、小さな頃の教育は、その後の人間形成においてすごい影響を与えるものだと、今更ながらに気付きます。

母が買ってくれた文房具はたくさんありましたが、その中でも外国製のものは、いつも目にする日本製の学童文具らしい文房具と全く趣が違っていたし、その知らない国に思いを馳せることにもなりました。

ステッドラーに一番安いタイプの2mm芯ホルダーを買ってもらった時、真っ青のボディに先端と芯研器を兼ねたノックバーが黒で、何てかっこいい配色なんだと思いましたし、父の話からしか聞いたことのない遠い国である西ドイツに憧れのようなものを持ちました。

芯ホルダーは鉛筆代わりに使っていたけれど、日本製の安っぽい、子供子供したものとは明らかに違う雰囲気に、ドイツ=大人のステーショナリーの国 だというイメージが自分の中に確立されて、その考えを今も持ち続けている。

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現行品の芯ホルダーは当時のものに近いデザインですが、ブルーがもっと濃かったような気がします。替え芯のケースは細部は違いますが、形は当時のままです。子供心にすごいと思っていました。

同じステッドラーのもので、6本の色鉛筆だけど、それぞれ2色の芯が入っていて両方から削っていく12色の色鉛筆は、日本で言うところの貧乏削りというものだけど、ドイツ製になると6本で12色を使うことができる、合理的なものだということになります。

子供心にそんな違いは感じ取っていて、おしゃれな缶のケースもさすが外国製だと、絵は描かずにそんなところばかり見ていたような気がします。

私が外国について興味を持つきっかけになったのは、スーパーカーなどの車と文房具で、それらは日本製との違いについて考えるきっかけになっていたと思います。(Y)

月について

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今回のテーマは「月」だそうです.

困りましたね.全く月に関してネタが思い浮かびません...
最近の私にはツキがないようです.
って感じで逃げましょう.

先日,デスクトップPCにSSDを増設したのですが,これがまた大変でした.
 

使ったのはCrucial製,容量は256G,速さは6GBで,約一万円.

増設の目的は,立ち上げ時間の短縮です.

最初は単にPC内部に取り付けて,その中になんでも良いからOSを入れ,BIOSで起動順序の設定
を行えば良いんやろ~.と甘く見てました.

しかし,いざやってみると困った困った.まず,最初の取り付け段階で部品(ネジ)探しに翻弄され
ました.田舎で部品を揃えるのには苦労します(梅田ヨドバシなんかに行けばすぐ見つかったので
しょうが...).

やっと,部品を揃えて,PCの中身を開けて,取り付けました.この作業は簡単にできました.

次に,SSDの中にwindows8.1をインストールしました(本体のOSは10です).そして,BIOS設定,
これも普通にできましたが,ここからがPCとの戦いでした.いくら起動順序を10優先に変えても,
8.1が起動するのです.何回設定しても変わらず,8.1が起動する.困った...「えっ!ずっと容量
256Gの中で作業しろってこと?」ってかんじで,なんとなく嫌になって2日間くらいPCを放置しました.
しかしこのまま放置しても仕事ができないので,もう1台のPCを使って,8.1が立ち上がってしまう原
因を探りました.すると,どうやらBIOS設定の何かが壊れているようでした.こういうときは,コマンド
プロンプトに直接コマンドを入力すれば良いことがわかりました.そして,恐る恐るコマンドを入れ,
やっと,10で立ち上がるようになりました.起動の早いPCの出来上がり!

苦労しましたが,挑戦した甲斐はありました.

みなさんも試してみてください.

月について~S等氏の場合~

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子供の頃は、夜中の8時まで家に帰らず遊んでおり(それを外回りと呼んでいた)、帰ってくると勉強は一切せず、本を読んでいました。
本の種類は様々で、その中にはSFや ファンタジーもありました。
月を主題とした本はけっこう多かったと記憶していますが、現在憶えているのは主にSFの分野で、羅列する

ア ーサー・C・クラークの『渇きの海』、

ロバート・A・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』、

ェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』 などです。
この中で特に面白かったと記憶しているのはアーサー・C・クラークの『渇きの海』です。
これはたしか月面の観光船が月の砂漠地帯で遭難し、それを救助する話だったと思います。

とにかく描写にリアリティーがあり(最近のアマゾンの書評に同じ事を書いていた人がいました)、月の特性(特に地質) をすごく活かした作品でした。

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記憶ではこの内容が当時は衝撃的で、これがSFにはまった原因だったと思います。
アーサー・C・クラークは,世間一般の人でも知っている有名な映画「2001年宇宙の旅」を書いた人です。
また他にも、この人の代表作は数多くあります。
しかし個人的には、この人の本で面白かったのはリアリティーを追求した『渇きの海』と、今の社会では実現の可能性さえある宇宙エレベーターを書いた「楽園の泉」です。


実際にアポロ計画が当時のSF作家たちの集まりから発想を得て計画されたと聞いた事があります。そしてこの宇宙エレベーターの発想は、この本が最初だと思います。


私はSFやファンタジーの作品に、逆にリアリティーや現実の人間の葛藤やドラマを求める傾向にあります。その方が名作になるからです。
また今日、小説は売れない時代といわれており、その理由の一つに「今のコンピューター技術はあらゆる人間のイマジネーションを映像化でき、人は文書より、映像が好きだから」というのがあるように思いま す。
しかしコンピューター画像の最先端で活動しているS等にとって(youtubeでゲーム映像を眺めている)、それだけでない事はわかります。
読書という行為により、読み手は、その内容の映像化を自分の中で行います。
それは他の人がコンピューターで作成したどのような映像よりもリアリティーがあります。 ですので人の中の創造性やイマジネーションを技術が越えるのは遥か先だと思います。


ところで,今月は「月」の話しをしなくてはいけません。
そこで、とりあえず問題提起すると、昔から、月を見て変身するのは狼男と決まっていますが、なぜ、猫や犬ではないのか、同じもこもこ系なのに?という問題があります。
狼がかっこ良くインパクトがあるという以外に,Wikipediaでググるとその答えがすぐにありました。
日本には昔、狐憑きという現象があったのですが、西洋ではそれが狼憑きという現象になるみたいで す。
西洋では主に宗教上の理由から狼男ですが、日本では狐憑きとなり、日本文化と融合するようになったのかも知れません。

ところで私は満月を見ると、もこもこし、手はぷにぷにになるので、おそらく同じような病気なんでしょう。

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