私の健康法~スタッフKの場合~

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こんにちは!スタッフKです。今月のテーマは「私の健康法」。

じわじわと加齢による肉に悩まされ始めていますが、基本運動が苦手なので、できるだけ運動はしたくない。

かと言って日常業務は全て座っているので、万年運動不足です。

そんな私の健康法は、どうしても「摂取して健康になる」方法になります。世の中、テレビだとそんな番組ばっかり。

私の場合、基本的に健康な状態だと(風邪とかひいてない状態)、「必要なもの」が食べたくなります。

野菜が無性に食べたくなったり、魚が食べたくなったり、甘いものが食べられなくなる。その影響だと思うのですが、ここ数年は甘いものが食べられなくなっています。嫌いなわけではないのですが。

その割には健康オタクなので、良いと聞いたものは何でも取り入れてみます。

その中で残ったのがコチラ。

SN3I0823.JPG青汁、甘酒。色々試したけど結局この2種類に落ち着きました。

甘酒は麹のもろもろ感が好きです。青汁は粉末を100%のオレンジジュースに溶かして毎朝飲みます。

甘酒は毎日少しずつ。お風呂上りにモグモグ飲みます。

SN3I0611.JPG一部業界では有名なF井さんの美味しいお米。これは玄米を分けていただいた時の画像です。

それまでは米油とか、ぬかとかまで料理に使ったりしていたけど、それなら玄米を食べればまるまる栄養ゲット!と思ってからは玄米派です。周囲の人達はみんな白米ラブなのであまり賛同を得られませんが、私は食べ応えのある玄米の方が好きです。食べる量もちょっとでお腹いっぱい。

家人も体型を気にしているので100%玄米でも文句は言いませんが、一応気を遣って白米と玄米のハーフ&ハーフにしています。でも精米機を購入してからは、そのハーフの白米でさえも「3分づき」にしていたりします。(もはや色の薄い玄米)

知っている方の作ったお米、色々大変だと話を聞いていたこともあって勝手に親しみを覚えていましたし、必要最低限の農薬しか使っていないそのお米は、ホントに美味しい。

でも同じ生活をしていても調子の良い年と悪い年があって、何が違うんだろうと思います。

テレビで毎日やってる健康法なんて、歴史の教科書みたいに時代によって変わってしまうもの。

そう思って自分の身体が何を欲っしているのか聞いてあげるのが大切かもしれないですね。

 

私の健康法

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子どもの頃、天王寺駅からこんな特急に乗った思い出があります。関連する写真がなくて、愛想がないので載せてみました。

 

今月のテーマは「私の健康法」です。

各人、日頃からの最も重大な関心事である健康について語ります。

学生の時から、本当に丈夫で、大きな病気どころか、ほとんど学校や仕事も休んだことがなかったのは、両親に感謝しないといけないと思っています。小学生の時、しんどいと言っても、家からたたき出されて、無理やり学校に行かされたのも、休むという選択肢を私になくさせるための、母の教育だったと今では理解している。

できればもっと頭の回転を速くしてほしかったけれど、贅沢も言えない。体が丈夫であるということは、頭の回転の遅さを補って余りあるものに思えるから。

体力には自信があって、いつも元気な方だけど、こういう人間はある日突然ポックリ逝ってしまうのではないかと思っている。母は、ある日突然体調不良を訴えて、余命3か月を宣告されて、その通りに今の私と同じ齢の時に逝ってしまった。

そういう体質は似てしまう、母もそれまでとても元気だった。


今回のテーマに話を戻すと、とても残念だけど健康法というものを全く実践していない。

以前行っていたジムも、休みが少ないので、あまり行くことができず、もったいないと止めてしまったし、早朝や夜にストイックに走ったりすることがなく、このテーマを書くのに最も相応しくない人間なのかもしれません。
私にとって健康に気を遣う=ストイックというイメージがあって、そこから修行僧のようなライフスタイルをイメージしてしまうのは極端で、健康法というものを全く理解していない証拠かもしれません。

健康的かどうかは別にして、唯一気にしていることは、感覚的に自分が嫌だと思うものは、いくら体に良いと言われても食べないようにしている。
いつも感覚で判断しているけれど、自分の体が嫌だということをしないということが私の唯一の健康法かもしれません。

食事の摂り方は、以前は回数は少なく、食べる時に一気に食べるライオン型の食事の摂り方でしたが、今は妻に小さなお弁当を作ってもらって、店が始まる前に食べている。

バカでいつも前向きな、ストレスを溜めにくい性格なので、精神的に健康でいられていることは仕事を続ける上でもとてもプラスだと思っています。

でもこれは体の丈夫さと無関係でなくて、やはり両親に感謝しないといけないと思っている。

我が家の車~スタッフMの場合~

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「我が家の車」は、私の成長を見守り続けて12年の真っ赤な日産・NOTEです。
この車についてお話しするのはなかなか感慨深いものがあります。

 中学2年の時に新車で迎えたこの車は、それまで乗っていた中古の天才タマゴ君より格段に静かで性能も良く、車を運転したことも無ければ全く詳しくもないくせに持っていた「車はトヨタ神話」を崩壊させるインパクトを持っていました。


当時の私は後部座席の助手席側が定位置でしたが、その場所なりに分かる新旧の違いがあるもので、一人で比較しては今の車を「すごい車だすごい時代だ!」と評価していました。
好きなものを脳内でたっぷり美化する特技を持つ私は少なくとも2年間は納車したときの新鮮なウキウキ感を保っていました。

 

ボーっとした高校生活が終わりを迎える頃、友人たちとの話題の中に自動車運転免許取得がチラチラ上がるようになりました。
もうそんな年になったのかしっかりしないと、とは微塵も思わずにひたすら脳内で新車のままのNOTEを運転する未来を妄想し、教習所に通いました。
受験を終えた生徒は在学中であっても教習所に通うことが出来たので、空いた時間は教習所とバイトにあて、在学中にNOTEの運転席に座ることが出来ました。


仮免ではないちゃんとした免許を取得して走った近所のコンビニまでのルートと助手席の母の怯えた様子は忘れることはありません。
良い思い出として。

 

最近ではずいぶんご無沙汰になってしまっている洗車も当時は楽しかったです。
洗車をしながらボディについた小さな傷を見つけては、「僕が運転出来るようになるまでに色々あったんだな、まぁこれも味の一つ」と考え気にしないように努め、脳内美化をしておりました。


ところで免許を取得すると途端にお使いの要求が多くなるものですね。
運転自体好きな方ですので、ちょいのりドライブと思って散々お使いに出ました。
とあるディスカウントショップに行ったときの事です。


その店がある地域に住んでる人口に全く見合わない広大な駐車場面積と、時間が遅かったこともあって駐車場はがらがらの状態でした。
買い物を終え、バックして車を出すときにちょっと遊んでやろうと言う気分になり、アクセルを強く踏んで勢いよくバックで方向転換をした瞬間、ゴッツーン!!とすごい音と衝撃が。


慌てて車を降り様子を見に行くと、買い物用カートを置いておく為の柵がNOTEのお尻に激突したようで、こぶし大のへこみが出来ておりました。
想像より早い無事故記録終了のショックと、幸いにも壊れることのなかった柵に対する感謝の気持ちと、脳裏に浮かんだ両親の怒りの表情は忘れることはありません。
悪い思い出として。

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その後しばらくの間、洗車を積極的に買って出てばれずに過ごしましたが、そんなに長続きすることなくあっけなく怒られました。
そして現在に至るまで何度か擦ったりして傷は増えましたが適当にはぐらかし順調にダメージ加工は進み、良い感じにヴィンテージ感が出てきました。
しかしそろそろ年貢の納め時。

NOTEの真っ赤なボディもややピンクになり、黄疸が出てるかのようなライトで見つめられると心が痛みます。
親が本気で乗り換えを考え始める前に。
私がやりました。ごめんなさい。

 

ずいぶん味を付けすぎてしまいましたが、愛着のある「我が家の車」。
もうしばらくこの車で走っていたいものです。

「うちの車」~ 通りかかりのSトーの場合~

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Sトーの今の車といえば、民営の○○バスである。
東京に行くときはJR新幹線が自家用車となる。
そもそも、そのSトーが一番最初に所有した車はサフラン色の淡い黄色の古いワーゲンビートルだった。
当時Sトーはこの非力な車で追い越し車線を独占し、遥かに馬力のある他の車から煽りを受けた。
しかしSトーを煽ってくる大抵の輩の助手席には美人が乗っており、それ故にSトーは絶対に道を開けなかった。そう昔からリア充は嫌いなのである。

S車1.jpg

やがてこの性格は、後に語られるSトー黒歴史の一つ「Sトーレーシングカーに乗る」事件に発展するが、それは今月のお題ではないのでやめておく。

先週のK保と違って「性格的に何となく運転に向いてないと思うに至り、それ以来立派なペーパードライバー」という考えは一度も持ったことはない。Sトーは基本的に車の運転が好きなのである。
むしろ「俺が運転する」と言い張り、自分の持っている全ての権利を行使するタイプである。
そして、Sトーが運転すると助手席に乗っている大抵の大人は悲鳴を上げた。

一番最初に悲鳴を上げたのは、教習所の教官だった。その次は家族、上司、などなど、きりがない。
当時は飛ばしに飛ばし、良く死ななかったなと思うSトーであるが、死ななかったのは決して運転が上手かったからではない。単に運が良かっただけである。その結果、多くの無茶をやったがゴールド免許だった。

ところで、ずっと東京で運転していると、そのうち都会の乗り方が分かってきた。
すると助手席の大人達は悲鳴を上げなくなり、「車線変更の神」と呼ばれるくらい、スムーズに運転できるようになっていた。
レーシングカーと一般車の乗り方が全く違う事に気づいたのも、この頃だった。
それ以降は、安全運転も面白いと思えるようになった。

今日、Sトーの住む街の○○バスでは、とても運転に気を使っている。
なぜなら、その街には超クレイマーがいるからである。そうSトーである。

「あの運転手はトラックの運転のようにバスを運転している!」「ブレーキをあてにして止まるな!」「加速が急すぎる!」「シフトダウンで減速しろ!」「加速はもっと自然に!」

このような事が、過去数年、彼らの営業所の所長に寄せられた。彼はSトーの家に来た事もある。 
今ではSトーが○○バスに乗ると運転手は身が引き締まる。(最もこの数年でもの凄く良くなったのでクレームしていない)

今、Sトーが目を付けているのは市営のバスだが、残念な事に市バスにはあまり乗る機会がない。
しかし、たまに乗ると彼らの運転には、もの凄くツッコミどころが多い。
Sトー鬼コーチにとってはやりがいがある。

S車2.jpg

もっとも、こんなことを言っているSトー、実は大型免許は持っていないし、普通免許も失効している。

 

 

 

うちの車~スタッフKの場合~

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こんにちは!スタッフKです。今月のテーマは車について。

バブル世代の場合、車というのは便利な乗り物である他に、「自己表現のもの」と言えるものでした。

男性の場合はもちろんそこにこだわりを表現していて、さらに女性へのアピールも多分に含まれていたと思います。当時は付き合っている男性がどの車に乗っているか、も友人同士の話題でした。最近はそういう傾向もなくなって、車に興味を示さない男子も多いと聞きます。

私は免許を持っていてしばらくは運転していましたが、何となく「向いてない」と思うに至り、それ以来立派なペーパードライバーです。

結婚してからは家人が運転するので完全に任せることにしました。ぎっくり腰で動けなくなった家人に付き添って病院に行った時も、久しぶりすぎてオートマの車で右足をアクセル、左足をブレーキに置いて次の動作をじっと考える私を見て、あきらめの表情で「もういい」と言われたことを覚えています。

私が運転するのと、ぎっくり腰の家人が運転するのと、どっちが安全か。その結果は一瞬で出たようでした。

SN3I0626.JPG

       *ある旅先にて。ナビに連れていかれた見当違いの場所。誰もいないし何もなかった・・。

ウチの車はずっと軽自動車です。税金が安いとか燃費が、とかよりも何となく身の丈に合っている気がして・・。最初に決めた時も、家人もどっちの車種でもスペックは変わらないと思ったのか、私にどちらがいいか、と聞いてきました。スペックはよく分からずどちらもデザインが似ていたので、結局「ドリンクホルダー」で、今の車を選んだのでした。

当時、軽自動車なのに、家人がオーディオとかナビにはこだわっていたので最新のモデルを積んでいました。

結果、数か月後に車上荒らしに遭い、後部座席の小さい窓ガラスを割られてナビを抜かれました。

それでもめげず、保険で修理して同じナビがなかったので少しお金を払ってワンランク上のナビを導入。薄暗い駐車場だったので見晴らしが良く、人がよく通る駐車場に移りました。

結果、1年後にやっぱり車上荒らしに遭い、ナビを抜かれました。外側は残っているんですね・・。配線はきれいに外しているので、プロの仕事のようでした。

それでもめげず、保険で修理して同じナビが無かったので少しお金を払ってワンランク上のナビを導入。振動で音が鳴る警報機を取りつけました。

軽い振動でも反応するのでしょっちゅう近くの駐車場から警報音が聞こえましたが、ひとまず盗難に合う事はなくなりました。

それでもこうなると運命を感じますが・・・。

車検で預けていた工場がまるまる車上荒らしに遭い、警報機を点けていない車から、やっぱりナビが抜かれました。HDには音楽もたくさん入っていたのに。

今はさすがになくなりましたが、ナビ自体がまだまだ高額だった時代、こういうことはよくあったのかも知れません・・。

高速で走るとなぜか助手席に座っているだけの私もヘトヘトになるし、砂利道を走るとなぜか助手席に座っているだけの私も足が疲れるし、ハッサク狩りの帰りに大量のハッサクと4人が乗ったらもう空気さえ薄く感じる軽自動車。しかも駐車場の上が鳥の通り道になっているので、いつもどこかに鳥のフンが付いている軽自動車。

・・・でもまあ何となく、身の丈に合っている気がするのでした。

 

 

我が家の車

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今月のテーマは「我が家の車」です。
各人がマイカーについて語ります。

 

免許をとって車に乗り続けて30年にもなりますので、今さら車のない生活など考えられないと思う反面、仕事にはバス、電車で行くし、遠くに旅行に行くときは安全面から電車で行くことが多いので、なくても困らないとも思います。

でもいつも車に乗りたいと思っています。

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今の車はフォルクスワーゲンポロという小さな車で、コンパクトカーのカテゴリーに入る国産車の大半よりも値段の安い車で、自慢できるものでも何でもないけれど、デザインや今では希少になったちょうど良い小ささが気に入って、6年前に買って今も大いに気に入っています。

それまでも小さな非力な車ばかり乗ってきましたので、私にはこのポロでさえ鋭い加速を持つ、十分なパワーのある車に思えて、快適に走っています。

車を通勤に使っていない私にとって車は日常の足というよりも、旅をイメージさせるものです。

家族で旅行に行くのはいつも車で、まだ暗いうちに走り始めて、寝静まっている街の風景を感傷的に見ていた子供だったので、その原体験が今も残っているのかもしれません。

でも前述したように旅行に車で行くことはほとんどなくなってけれど、やはり車で旅がしたい。

そんな想いを埋め合わせしているのかもしれないけれど、1か月に1度くらいはドライブ目的の休日を過ごしています。

神戸は東に行くと都市部になって、道も混みますが、西や北へ行くと30分も走れば田園地帯に出て、田舎道をドライブできます。

30年もこの辺りで車に乗っているので、知らない道はほとんどないけれど、自分が住んで、仕事する街の風景とは全く違う田舎の景色を見ながらドライブすると、本当に楽しくリフレッシュできます。

一番好きなのは行き当たりばったりに、道が続くまま、ハンドルが向くままに走ることで、冒険心がくすぐられて楽しくて仕方ないけれど、助手席の妻はきっとどこを走っているのか分かっていない。黙って乗っているけれど、内心気が気でないと思っていることも分かっているけれど、私はそれを分かっていながら遠くへ遠くへとハンドルを向ける。

あの車に乗ったらどうだろうとか、好奇心からよく思いますが、自分の車の乗り方、面倒臭がって年23回しか洗車しないとか、いろいろ考えると今の小さな車が自分に一番合っている。

それ以外の車は考えられないと、あと15年は乗りたいと思っている。(Y)

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夏祭りについて~S等氏の場合~

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日本編
たいてい子供の頃は、寝ていると夜中に遠くからどんどんヒャララ~ピ~ヒャララ~って感じの音が聞こえてくる。
そうすると昼間のノルマである「食べる、食う、食す、遊ぶ、遊戯に参加する、楽しむ」等の日課を終えた疲れた私は起き上がり、そのまま、音のする方向へ無意識に、時に通りすがりの台所にあった夕食の残りを食べながら、表通りに出て、音のする方へ向かう。
外は大抵夕方か夜である。
浴衣を着た多くの家族やカップル、暴走族に警察官、テキ屋、子供たち、燐の学校にいる敵対している奴ら、隣の家の犬(これは私が勝手に連れてきている)、などが一斉に夜中の公園に向かっている。
夜の公園には、神が、イカ、たこ焼き、焼きそば、チャーハン、コーラ、ラムネ、かき氷、何かの肉の串刺し(多分さっきすれ違った子供たちの肉であろう)、綿菓子、焼きリンゴに姿を変えて降臨している。
また、2サークル目のイカ焼きの際に奥にお好み焼きに変身している神がいる事に気づき、それも捕まえありがたく頂く。
全ての神を平らげた私は、何事もなかったかのように、又多くの人が残っている公園を後にし、ヨロヨロと家に帰る。
背後からは空一面に花は咲き、どんどんと大砲の音が聞こえる。
そして、寝る。

海外編
海外には何とも奇妙な習慣が存在する。それはサマーカーニバルと呼ばれる。

DSC_0003.jpgそれは日本と違い、朝から開催される。
その日は朝からうるさい。寝ていると通りから美味しそうなにおいが窓から入ってくる。
そして私はうつらうつらに起きだし、私の体は表に向かう。

←この辺を私は朝食をもぐもぐしながらうろつく。

 

 

 

 

バザー.jpg朝の通りの歩いていくとやがて港に着く。
そこでは、様々な人たちが、様々な商品を売ったりしている。
周囲は甘いお菓子のにおいが立ちこめて、そこでの私の行動は上の日本編で書かれている事と同じであった。
海外の神たち(お菓子)を十分平らげた私はさっきから多くの人が向かっている港に行く。

そこでは多くの船が一斉にレースをしている。

 

 

 

3席の船.jpgおそらく勝者は軍艦か潜水艦であろう。
なぜなら彼らには武器があり、民間の船にはそれがない。
そうやって多くの民間船はこの港の底深くに撃沈されていった。

 

 

 

 

 

chruch 2 .jpgやがて夕方となる。

渡航上の注意として日本の外務省も公表しているが、日本と違い海外では夕方から吸血鬼が出る。

 

 

 

 

 

 

 

DSC_0018.jpg←これは知り合いの吸血鬼の実家。私の知りあいはここで両親とおばあちゃんと一緒に住んでいる。普段は観光名所の教会

 

 

 

 

 

 

教会.jpg←ところで、それ故にみんな早く家に帰るが、帰れなくなった人には教会というシェ
ルターが準備されている。

 

 

 

 

 

 

しかしよく考えると、知り合いの吸血鬼も教会に住んでおり、果たして教会が避難所として機能するのは疑問である。
知り合いの吸血鬼にその辺を聞いてみたところ、そういう「てい」なのでって言われた。

おしまい(若干だけフィクションあり)。

 

夏祭りの思い出~スタッフMの場合~

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今月のテーマが「夏祭りの思い出」と聞き、いくらでもありますよ!と浮れていたのですが、今まで夏祭りだと思っていたもののほとんどが秋祭りであったことを知り沈んでおります。

人生は浮き沈みの繰り返しですね。

夏祭りの思い出が淡く霞んでいるのには理由が有り、2ヶ月後に行われる秋祭りの方が圧倒的に力が入っている為です。

その差は歴然で、屋台の出店数が夏祭りは秋と比べて1/8程しか出店されておりませんし、活気もなく感じます。

とは言え、夏祭りにも積極的に参加してきました。

昔住んでいた二見はそこそこお祭りに力の入っている地域で、町で一番大きな神社を中心に毎年お祭りの季節になりますと町全体がお祭りムードになります。

幼い頃からそういった空気を肌で感じておりましたので、夏休みに入りますといつも頭のどこかにお祭りに対する期待があり、今では出来なくなった金銭管理で屋台で遣う為の資金繰りをしておりました。

そうして得た軍資金と友達と一緒に神社に向かうのですが、到着して5分ほどで期待を裏切られた感が募ってきます。

秋祭りだったら3・4はある焼き鳥屋もカステラ焼きも1店ずつしか出ておりませんし、物販系の出店も少ない。

神社の石段にすわり、やや拗ね気味に焼き鳥などを食べていました。

ところでお祭りと言えばなにかを祭る祭事だと思うのですが、この頃の僕にとって「お祭り=屋台」という認識でしたので何のお祭りだったのか現在も分かっておりません。

夏祭りらしく夜になったら盆踊りがあると言うわけでもなく、本当にただ神社の境内に屋台が出るだけの行事と言う印象です。

ただ秋祭りと比べて日が長いので友達と遊べる時間が長く、くたくたになった頃に日が暮れてくるので、屋台に灯りが入る頃には疲労とともに冷静さが戻ってきます。

今思えばこの時間が最も思い出に残っております。

親に強制的に連れて帰られそうになり泣き叫ぶ子供やお酒が入って陽気になった大人たちが騒ぐ中、石段に座りぼんやりしていると何だか自分だけが周りの誰からも認識されていないかの様な気分に陥ります。

金魚すくいの屋台の匂い、安いおもちゃの並ぶ屋台の臭い、冷やし飴の香り、イカ焼きの薫り、それらが風向きによって独立していたり混ざったりしながら鼻先をかすめ、夏の匂いとまざってしっとりと体にしみていくような感覚。

「あぁ、祭りが終わる」と悟って寂しい気分になるのですが、こうした心の動きが好きでした。

これは秋よりも夏祭り特有の感覚だったなぁ、と懐かしく思います。

祭りの後の侘しさ、そこに魅力を覚えるスタッフMでした。

夏祭りの思い出~スタッフKの場合~

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こんにちは!スタッフKです。夏祭りの思い出・・・自分の過去と向き合うブログは結構エネルギーが要るものですね。

小学生の頃は、お祭りに行って盆踊りに参加して夜店を回り、いつもは許されない夜の風景を堪能するのが好きでした。

明石の実家の近所にある「密蔵院」というお寺で行われるお祭りでしたが、花火大会こそありませんが夜店も割とあったし人も大勢いたので、いつもの遊び場の風景が一変していました。

夜という時間も子供にとっては特別で、夏休みという特別な期間の夜という特別な時間の幻想的なイメージがあります。

大音響なのに心地良く聞こえるあのサウンドは何なのだろう。

1024px-密蔵院(大地蔵)兵庫県明石市PA211872[1].jpg

                    大地蔵が目印です。

当時は子供会なる地域の子供のコミュニティでお祭りの前に盆踊りを教わるという徹底ぶりでした。

「炭坑節」に始まり「明石音頭」(久しぶりにYoutubeで聞いて泣きそうになりました)、「ドラえもん音頭」(大山のぶ代バージョン)これはちょっとやれば今でも踊れる程に身体が覚えています。当時の女子はピンクレディーを完璧に踊れましたが、それと同じくらいにこの3つは踊れた。スタッフMは盆踊りを体験したことがないというので、時代なのかもしれません。

アルバムを何となく探してみると、一枚だけ写真がありました。どこのお祭りなのか記憶はありませんが、いつものことながら時効なのでザ・昭和な写真をご覧ください。

a.jpg

自分で見ても並んでいるおもちゃがすごいと思います。なぜ私はアイロンを手にしているのか・・。祖母の買ってあげる気満々に構えられた財布もいいですね。

・・・それにしてもどこから撮られた写真なんだろう?

大人になってもお祭り、と聞くと子供の頃の夜店と盆踊りを思い出します。

当時は塾に行ってる子なんていなくて、夏休みは果てしなく自由で長かった。

そういう夏休みをひっくるめた懐かしい感情とともにお祭りは思い出されます。

 

 

夏祭りの思い出

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DSC05684_edited.jpg
画像がなかったので、SkyWindさんのポストカードのお力を借りました。

 

今月のテーマは「夏祭りの思い出」です。各人お祭りと縁遠そうですが、それぞれのお祭りの思い出を語ります。

 

大人になってお祭りに近寄ることもしなくなってしまいましたが、子供の頃は、毎年団地の公園で行われていたお祭りが好きでよく行きました。

小学校低学年の時は妹と、高学年になってからは少年野球の友達と行った覚えがあります。

古典音楽でも民謡でもない、かといってダンスミュージックでもない、盆踊りでしか聞かない不思議な音楽がいつも流れていた。知っているおばちゃんたちに盆踊りの輪に無理やり入れられたり、綿菓子を売らされたりしたけれど、全部ひっくるめて楽しかった。

当時住んでいた高槻の子供たちは「~くんのお母さん」というのを「~くんのおばちゃん」と言うのが普通でしたが、他所はどうなのだろう。何か変な感じがするとふと思いました。

お祭りの翌日、会場だった公園に行くと結構な額の小銭が落ちていて、拾って交番に妹と持っていて、お巡りさんを困らせたこともありました。

母の実家の長野の川上村でもお盆の間だけ出荷が休みでしたので、近くの公民館の庭に盆踊りの櫓が組まれていた。

いつもと同じ盆踊りの曲が流れているだけの、夜店も出ていない、お祭りとは言えないものでしたが、その雰囲気が好きで何となくいつも出掛けていった。

神輿が出てねり歩くような本物の祭りを見たのは神戸に来てからで、その熱気のようなものに居心地の悪さのようなものを感じました。

子供の頃から祭りだと思っていたものと明らかに違っていた地元垂水の祭りに友達たちと出掛けたりしたこともあったけれど、皆楽しそうにしているのに、なんで自分は楽しくないのだろうかと思っていた。そして、祭りは好きではないと言うことが、何となく憚られていました。

それと同じ感覚は、ゲームセンターなどでも経験したことがあって、皆楽しいのだから、自分も楽しいと思わないといけないと思おうとしていた。

私が子供の頃から祭りだと思っていたものは、盆踊りや縁日で、それらは祭りという大きなイベントの中の一部分だと分かったのは、この文章を書きながらで、今まで考えてみたこともなかった。

男たちの熱気でむせ返りそうな熱い祭りは好きではなかったし、同世代の子供たちが集まって楽しそうに過ごす場所は好きではなかった。

本ばかり読んでいたと言うつもりはないけれど、図書館のような場所の方が子供の頃から好きだったけれど、自分のそういう好みを自覚して、それを素直に言えるようになったのは大人になってからで、それまで何となく自分を偽っていたようなところがあったことを後悔している。

夏祭りをテーマだと言いながら、静かな古い図書館で夏休みに友達と勉強するという建前のもと、図鑑ばかり見ていたことを懐かしく思い出しました。(Y)

 

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