ノートの使い方について~Y女史の場合~

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私はノートのベストな使い方についていつも探求しています。

今の時点で見つけたノートの使い方は2種類あります。

1.リスシオ/グラフィーロ(A4)の用紙に勉強の内容を書き、書いた後にナンバーと日付を入れてバインダーで綴じる。

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 この方法は、ノートを何冊も持ち運ばなくても用紙さえ持っていればいいので、非常に気が楽です。ノートを何種類にも分けて書く必要のない時に向いている方法だと思います。

しかしあまりにも違う内容の文書を一冊のバインダーに綴じてしまうのはちょっと困ると思う時もあると思います。

私はそんな時、次のようにしています。

2.A4サイズグラフィーロノートにタイトルを付けて、用途別にノートを使っています。

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こんな感じで、テープライターにタイトルを書いて、表紙に貼っています。

長年探し続けてたどり着いた方法は、以上の2つの方法です。これらの方法は何か勉強しなければならないことがある人や、書く内容がとても多い人に向いていると思います。

ノートについて~S等氏の場合

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(落書き帳)


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私はもっぱらPen and message.の 324円のこの用紙をよく使用します。

自由に書けるし、万年筆で絵を描く ときとかも重宝しています。この紙を販売しているお店側はそんなによい紙ではないといっていますが、私は万年筆とこの紙の相性は良いと思います。
現在の使い方としては、本を読んでいて内容がよくわからないときに書き込んで概念化するのに使っています。常に2~3冊のストックがあります。
今は日本の歴史を勉強しており、家系図とか、よくわからない日本の昔の地名や、位とか、そう言うものを書き込んで、いろいろな関係とか構造を書き出して理解しようとしています。そういうときはこのような真っ白の紙が一番良いです。
余談ですが、最近の考古学、歴史学はかなり研究が進んでおり、縄文時代の日本、特に東日本はものすごく活発で、海民、山民、採取民により社会が形成され、障害者や女性への差別もないとか、弥生時代はこれまでのようにイコール稲作文化ではなく、縄文時代の文化も承継し共存した多様な職能集団が存在し、様々な人たちが交流した社会であったとか、中世で人びとは男性も女性も全国中を旅して、自由度の高い社会だったということがわかっているそうです。
ところで百姓=農民ではなく、百姓=一般人であり、水呑と呼ばれた人たちも、貧しく自分の土地を持てない農民ではなく、土地を持つ必要のない海運業や金融業等の裕福な人も含まれていたとか、昔習った事は一体なんだったんだろうと思ってしまいました。
これまでの通説的な思い込みである日本は男尊女卑も事実ではなく、実際は最終的には女性に頼る社会でもあり(ペンアンドメッセージを見れば納得)、中世までは差別もない社会だったということです。(上下関係と奴隷はいましたが)
古代では遊女も博打打ちも神聖視されていたとかで、キャバクラに憧れを抱くSトーに取って、その時代は夢の時代かも知れません。

(システム手帳)

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これは普段持ち歩いているシステム手帳です。

これもペンアンドメ ッセージで販売しています。
デザインはありそうでない秀逸なものだと自分では思っています。
ダグラスという革を使っているそうですが、この革は男性にとっては好みの革だと思います。

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私も多くの人と同じようにシステム手帳の遍歴はけっこうありますが、結局大手メーカーのより、個人作品のほうが質も値段も満足感がありお買い得感もお得感が全然こっちのほうが上でした。

使い方は、デスノートとしてではなく、この手帳に翌日、自分がすべきことを列挙し、次の日の予定計画をたて、翌朝に行動し、その日の中で 完了したものにはマークしていき、それ以外で達成しなかったものは翌日行ったり、時には、なぜうまくいかなかったという分析を記入したりなんてことしているので、結構、リ フィルを消費します。
ところでこのシステム手帳、もう在庫があまりありませんので、欲しい人は早めにお店に注文しておいた方がよいです。もうできないそうなので。
(おわり)

今使っているノート~スタッフKの場合~

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毎日暑い日が続いてますね。最近は「熱い」という表記でも間違いではない気がします。

さて、今月のテーマは「今使っているノート」。

私の場合、今までいいなあと思った事や勉強したことなどを色々書き留めたりしていましたが、結局そのまま放置されていました。なぜ活かされてなかったかを考えると、おそらく「検索が出来なかったから」に尽きると思うのです。その時々で、手近にある紙に書いていれば当然ですよね。

そこで最近改めてしているのが、「サイズの統一化」です。

テーマもバラバラで数が多いことを考えると、きっとリング式がいいだろう。でも1つの項目につきA5だと小さいしA4は大きい気がする。

という訳で、B5ルーズリーフを引っ張り出しました。

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久しぶりのルーズリーフ!見出しは100円ショップで見つけたB5E・2穴の5山インデックスの横に専用パンチで26穴を開けました。どうしても上にインデックスが欲しかったんですよね。横だとすぐに傷むから。(このタイプは少量ではあまり売ってないんです)

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右上が書いてそのままにしていたものたちで、綴じてあるのが書きなおしたもの。

書きなおしながら、これはもういいや、という情報は捨てていきます。数年前、数か月前でも結構あるのが不思議。

あとは私の手書き師匠の真似をして、足す度にページ数を振り、最初のページにインデックスをつければ完璧。

バラバラのサイズで、読みにくい走り書きもあったりすると不便だけど、統一規格にきちっと書けばこれはいい感じです。(見栄え優先で、略字はできるだけ使わないように心掛けたりしています)

そしてもう1冊は対極にあるこの綴じノート。これはかなり昔に紹介したと思いますが、健康オタクの私にピッタリの用途で使っています。

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使っているのはかの大和出版印刷さんの「上製本ノート」!!

これはもうどうしても欲しくて買って、絶対何度も読み返す内容のために使いたいと思って「健康に関する情報」を集めたのです。この厚み、紙の手触り、書き心地、どれもお気に入りです。インクをしっかり受け止めてくれて、裏にも抜けず紙がよれることもない。

限定製作のノートだからなくなってしまったら終了だけど、あるうちにもう1冊買って、並べてみたい。

ノートを使うと、生活がちょっと豊かになった気がするのでした。 

今使っているノート

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今月のテーマは、今「使っているノート」です。各人が今愛用しているノートについて語ります。それぞれが書くことにはそれなりのこだわりを持っていますので、なかなか楽しみな企画です。

 

仕事柄という理由をつけて、好奇心から様々なノートを使っている。

メモ帳の類は最後まで使い切ることができるけれど、ノートはなかなか最後まで使い切ることができません。

ダイアリーも同様で、オリジナルダイアリーは常に使っているけれど、システム手帳やフランクリンプランナーなど本当に様々なものを使ってきた。

今まで使ってきたものの中にはこれで完璧だと思ったものもいくつかあって、私の根気があって、いろいろと入ってくる情報がなければ統一されたフォーマットで25年間の行動記録が出来上がっていたとは思います。

何せかくことだけはずっと止めずにきて、何かに書き続けてきました。

いろんなものを使ってみて、書いてきて思ったことは、自分に合ったダイアリーは11ページだったということでした。

予定がたくさん入ったり、分刻みで行動しているわけではないけれど、11ページの大きな紙面がどうしても必要なのは、その日の形を書きたいと思っているからです。

毎日店にはお客様が来て下さり、いつも美しい光景がある。

その11日を記録しておきたいと思っています。

休日だけその行動記録を書いている小さなノートがあります。

はじめ休日も時間の意識を持って、流されずに行動したいと思って書き始めたものでしたが、何年か継続すると記録として大変役に立つことが分かりました。

1日に小さな紙面の1ページをあてて、時間、場所、内容を箇条書きで書いているだけだけど、これからも続けていきたいと思っています。

ちょうど次の休みで1冊使い切りますので、次のものに替えるつもりでいます。

こういう休日限定というふうに、用途を限定するとノートは使い切ることができるのかもしれない。

考えてみると万年筆も、用途を決めると使わなくなることがなくなるので、道具とはそういうもので、同じことなのかもしれません。

書くことが好きな限り、これからもいろんなものを使うだろうと思っています。

万年筆もそうですが、ノートにも何か自分を変えてくれるようなところがあって、それが次々と違うものを使いたいと思う理由なのだと思っています。(Y )

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家族旅行の思い出

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私の家はわりと頻繁に家族旅行に行っていたように思います.

白浜,金沢,広島,九州,名古屋,伊勢,那智の滝,長野などなど...子供の頃はとにかくいろんな場所に家族旅行に行った思い出があります.

その中でも一番楽しかったような気がするのが,九州一周旅行です.九州へは自家用車を積んでフェリーで行きました.奈良から大阪に出て博多へ.その時私は小学6年くらいだったような(旅行のために学校を1週間休みました...これだけは覚えている.),うーんほかはあまりよく覚えていない.初めてのフェリーでの宿泊にドキドキ.船の中に旅館みたいな部屋があってそこで一泊しました.

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 博多,由布院,阿蘇山,桜島,長崎,博多の順番に回ったと記憶しています.

しかしながら,ほとんど何も記憶に残っていません.

覚えていることを羅列すると....
阿蘇山で初めて茶色の牛を見て「牛乳石鹸の柄の牛じゃない!」と驚き,桜島は噴火していたので近寄ることができず残念に思い.オランダ村ではよくわからないガラズ細工のお土産を買いました.また,博多の印象は都会だな~というくらい.

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いろんなところに旅行に連れってもらったけれど,あまり覚えていないのが残念というか,親に申し訳ないというか.

正直いって,旅行を含めて他のことに関しても,私は子供時代の記憶があまりありません.ただなんとなく生きていただけでした.何故か受験もしないのに学習塾に週3で通ったり,習い事もそれなりにしましたが,自分の意志がないので身につかずじまいでした.ただ記憶にあるのは,幼なじみと毎日ふざけていたことくらい.いつも登下校中にかくれんぼをしていたので,なかなか目的地(家や学校)に着かず,先生や親に捜索されたりしました.こんなアホな児童だったので,いまになって親から聞いた話によると,中学受験組の親からは近づくとアホが伝染りそう~と嫌われていたらしい(笑).

記憶にあるのは高校生くらいからだろうか.その頃になると,意志がはっきりして,目的にもとづいて行動するようになったような.(でも毎日ゲームをして遊んでいたけれど.)高校の頃から今の職に就きたいと思っていて,学部選びも偏差値ではなく,自分の興味の分野に即しているかどうかについて慎重に判断して決めました.そのおかげで学部時代はとても楽しかったし,有意義なものでした.

旅行の思い出からかなり逸れましたね.親としては多くの体験をさせようと様々な場所に連れて行ったのでしょう...しかし,効果は無かったようです.残念.

今回は何を言いたいかわからない記事ですがこの辺で,終了.

では,また.

家族旅行の思い出~S等氏の場合~

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子供の頃、家族とどこかに出かけた事はあるけど、あまり記憶に残るようなものはありません。
強いて言うなら、小学校4年の時に親戚のおじさんが結婚(再婚です)して、なぜかその叔父一家と一緒に丹後後半島に行った事は憶えています。


当時丹後半島はよく怪獣が出没し、海上自衛隊と戦っているような日々でした。
親戚の叔父は一応生物学者的な人で新種のクラゲを発見したりした事もあります。
ですので本来は生物に詳しいはずでした。
しかし、彼の化けの皮がはがれるのは時間の問題でした。
そもそも彼の間違いは、当時小学校4年で既に水泳クラブに何年も所属し、海の泳ぎも一人前であった私を軽く見た事が原因かも知れません。
彼はその日、太陽でさえも熱くスタバで抹茶パフェを頼みにいこうかと思うような午後1時に、自分は海に詳しいので少し遠洋まで出かけると言い出しました。
私は彼についていきました。
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彼は浜辺から15メートルくらいで泳ぐの止め、私にそこで待つように言い、そこから素潜りで5メートル下に潜りました。
しばらくして水面に上がってきて、彼は言いました。「下に大きなタコがいるので槍で突いて捕まえる」と。
私はただ彼が再び潜っていくのも見てしばらく待っていました。

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そしたら彼が再び水面に上がってきて言いました。岩場に槍が引っかかり取れなくなったから諦めると。
そしてそのまま新婚夫人の待つ浜へ引き返しました。
ところで当時の私は素潜りが得意でした。スイミングスクールの練習用のプールではよく25メートルまで潜って泳ぎ、そのままターンして大体45メトールくらいまで潜ったままで泳ぎ、コーチによく怒られていました。
ですので水深5メートルは、海という条件、また水平ではなく垂直に潜るというコツは必要でしたが、自分の許容範囲でした。
私は人生初の現場検分をしにタコ殺未遂事件の現場に向かいました。
そこで見たのは次のものです。
① タコはいた。しかしそれは5センチくらいだった。
② 岩場に凶器の銛はなかった。
③ 銛はタコの胴体にささっていた。
④ タコは平然と生きており、怒っていた。
経験のある人ならわかると思いますが、タコは脊髄をささないと死なないので、それ以外だと平然と生きており、吸盤は岩から離れないです。
例え5センチのタコでもその吸盤の力はとても凄く大人でも引きはがす事は無理です。
結局叔父は5センチのタコに戦いを挑み、間違ったところを銛を刺してしまい銛をタコにとられたということです。

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この敗北について、私は浜に帰ってから子供特有の無邪気さで、新婚の嫁の前ですべての真実を語り、彼のプライドを散々引き裂いた事は、私を知る人でしたら容易に想像がつくと思います。

家族旅行の思い出~スタッフKの場合

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空調工事でお店は閉まっていますが(7月11日~14日まで)みなさんこんにちは!WRITING LAB.スタッフKです。

今月のテーマは「家族旅行の思い出」。家族旅行と言えば、やっぱり子供の頃の旅行が一番印象的です。

子供の頃は7月も今頃の時期になるともう意識は夏休みへ飛んでいましたよね?個人的には一年でこの時期が一番好きでした。

 

うちの家では夏の旅行に関して「今年はどうする」という話はありませんでした。父の会社の保養施設(提携旅館?)が六甲山にあったため、小学生のころは毎年そこへ行っていたのです。他の場所への旅行の記憶は全くないので後々聞いてみると、3歳くらいまでにあちこち連れまわし過ぎたため、お出かけを拒否されるようになったからだとか。

確かに私も弟も子供のくせに出不精だったため、夏の旅行でさえ出かけるまでのテンションは異常に低く、毎年「ああ、面倒くさい」と思っていたのを憶えています。

今思えば毎年恒例になっていたからこそ、大人になった今でも記憶に刷り込まれているのですが。

 

明石の自宅から電車、バスを乗り継いでケーブルカーで山頂へ。山頂の公園でちょっとリフレッシュして、そこからはハイキングになります。

虫取り網は常に手に持ち、いつも8月20日前後の旅だったので赤とんぼを捕まえたりツクツクホーシの声を聞きながら山道を歩きます。

あんなにテンション低く出てきた旅行ですが、私も弟も出てさえしまえば満喫するわけでして。

 

*この8月20日前後という旅の日程も曲者で、子供には酷なスケジュールでした。まだまだ休みが続くという雰囲気もお盆が過ぎると急になくなり、新学期と宿題の影がじわじわ濃くなります。テレビのアナウンサーの「夏休みもあと少し!」という何気ないフレーズにもピリピリしている最もナーバスな時期なのです。 

ああ、旅の話でしたね。

 

ハイキングの途中でゴルフ場の開けた場所に出て、そこから見える夕焼けとヒグラシの声がもう最高に切なくなります。

日が沈もうとするころ、ようやく旅館に到着してすぐにお風呂です。くたくたの体がもう一度しゃんとして、夜の食事はいつもすき焼きでした。

そのあとは昭和お決まりの「ピンポン」で遊び、ほどよく疲れて就寝。

翌日は六甲カンツリーハウスでパターゴルフを堪能。そのあと写真を見ると白鳥のボートに乗ったりしています。

でも毎年必ずやっていたのが、池の端にある四角い飛び石のすきまで小エビを捕ること。

誰もやってなかったので、家族4人でしげしげと石の間を見ては手でバシャっとやっていると、道行く人がほとんど「何が捕れるんですか??」と聞いてきました。

ある年はみんなもやり始めて、飛び石の上が人でいっぱいになりました。昭和ですねえ。

そしてリフトに乗ってカンツリーハウスを出ると、この旅行も終わりです。毎年リフトに乗ると、「ああ、今年の夏も終わったな」と思ったものです。

 

昔の写真は「フィルム」時代ですので、風景写真がほとんどありません。時効の写真を少しだけ。(若干色あせ気味の写真を色調整で再現)

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*どこから見ても昭和のリフト乗り場。どうしてこんなに誰もいないのかは謎です。

この旅行は私が中学生になるまで続いたと思います。今はその六甲山付近に住んでいるため、宿泊することはなくなりましたが、ぜひまたカンツリーハウスに行ってみたいです。

 

 

 

 

家族旅行の思い出

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今月のテーマは家族旅行の思い出です。

各人が家族と旅行に行った思い出を語ります。それぞれ子供の頃の思い出が多いかもしれません。

 

旅行と言っていいのか分からないけれど、家族での旅行というと母の実家に車で帰省する時のことをいつも思い出します。

子供の頃からいろんな所に連れて行ってもらったはずですが、そんなものなのかもしれません。

長野県川上村の母の実家に行くのには、その時代時代の道路事情にもよって大きく所要時間は変わります。

中央自動車道が西線、東線がつながって6時間で行けるようになった時には、感慨深いものがありました。

長い間、中央自動車道西線は伊那北までしかつながっておらず、いくら父が飛ばしても8時間はかかっていたと思います。

川上の家にお昼過ぎに着けるように出掛けるというのが目標になっていたのか、道が混み始める前に中央道に入りたいというせっかちな父らしい考えがあったのか分からないけれど、いつも早朝の真っ暗なうちに高槻や神戸の家を出発していました。

真っ暗な町の誰も動いていない時間に出て、途中で明るくなっていく時間の流れや、移り変わる景色を助手席から見ているのがとても好きでした。

市街地は塀が高くて見えにくかったけれど、そこから外れると高速道路から外の景色もよく見えました。

1年に1回通るか通らないところですが、長い道のりでも町並みが劇的に変わることもありませんでした。

道々にある家がいつも通りにあって、変わらずに洗濯物が干してあったりしたら何か安心したり、いつも決まったサービスエリアでご飯を食べたり、休憩したり、車内で何か飲んだり、お菓子を食べたり毎回同じことを繰り返していた。

旅のサプライズ感は全くない車での移動だったけれど、そういうものが家族旅行の思い出として、いつまでも心に残っています。

行ってみたい場所~Y女史の場合~

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どーも、Y田です。

最近は忙しさにも慣れてきました。

今回も難しいテーマですね。

あまり外に出るのが好きではない私にとって、「行ってみたい場所」というお題はきついです。しかし,何か書かなければなりません。頑張って文章を振り絞ります...う~~~ん。

 

行ってみたい場所・・・それは「イタリア」です。

なぜイタリアに行きたいかというと、イタリアは大好きな漫画である「チェーザレ」の主人公 ♥ チェーザレ様 ♥ が活躍する舞台だからです。

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また、ドイツとデンマークには行ったことがありますが、イタリアは一度も無いからです。

 

漫画の主人公は、世界史好きなら誰でも知っているでろう(悪役のイメージが色濃い)チェーザレ・ボルジアです。

チェーザレ・ボルジアとは、イタリアルネサンス期の政治家であり軍人でもあります。

漫画の中では彼の青年期について描かれています。本書には、歴史上有名な人物が多く登場します。

メディチ家が栄えていた時代の事実上のフィレンツェの支配者ロレンツィオ・デ・メディチ、彼の息子でチェーザレの学友であり、また免罪符で有名なジョヴァンニ・デ・メディチ(ローマ教皇レオ10世)が登場し、また、チェーザレの父であるロドリーゴ・ボルジア(アレクサンデル6世)、ボルジア家の敵であるジュリアーノ・デッラ・ロヴェーレなどそうそうたるメンバーが登場します。

物語の舞台にとりあえず行ってみたいです。

 

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ローマ、フィレンツェ、ボローニャ、ナポリ、ピサ、ミラノには行ってみたいと思います.

 

行って何をするのかって?

それは,まずイタリア製万年筆を現地で買いたいと思います。アウロラの聖地であるトリノにも行きたいです。

次に、歴史散策ですね。

そして、食べ物です。私はパスタが大好きですので、各地で食べあるきをしたいです。

 

いつか時間とお金に余裕ができたら、イタリア旅行に行ってみたいと思います。

「行きたいところ」~S等氏の場合~

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空港は特別な空間のような気がします。
旅の最終目的地でもないのに、記憶にあるのはほとんど空港での記憶です。
私は基本的に仕事でしか空港に行ったことがありません。ですので個人的な旅行の経験は国内も海外もほとんどありません。

また行くときは、自分がこれからすることで頭が一杯で、周囲の景色もほとんど見ていません。仕事がおわりいよいよ帰国となった時に、これまで白黒だった景色が初めてカラーに戻ります。

ですので、行きたいところ=旅=仕事となるので、なかなか思いつかないというのが本音です。ただ空港は特別な場所です。
経験上、深夜の外国の空港で一人椅子に座って報告書を作成していたことや、成田空港警察に呼び出されたこと、外国の税関で質問され別の部屋に連行されたこと、その他空港でのトラブルはよくあります。

日本では関西国際空港に予定時間を遥かに超えて夜中に到着してしまい、寝る訳にも行かず近くのホテルも高いので、そのまま朝まで仕事していたことを憶えています。夜中の空港は警備員以外誰もおらず、集中するにはすごく良い場所です。外国の空港だと警備員さえいない場合もあったように思います。


ところで行ったことはないけどいつか行ってみたい空港があります。
それはリヤト・キング・ハーリド空港です。
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 空港全体の設計がイスラム風で美しいです。見方によってはスターウォーズに出てきそうなデザインの建物です。
建物内の高い天井に施されているイスラム様式独特の模様もとても美しいと思いますし、待合室などの椅子もよく無機質なものではなく、非常に豪華です。


ここに行けばきっと自分も石油王になった気分がすると思います。