2012年8月アーカイブ

インド料理店での再会

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トロンコは本当に久し振りにボンクのホームタウン、ウエストニューヨークを訪ねました。

ある事情があって、街を離れることができないボンクにトロンコがニューヨークへ行くことを伝えた時、ボンクは驚きながらも喜んでくれました。

出会って間もない頃、トロンコがボンクのことをまだあまり知らない頃に訪ねただけで、それ以来この街に来ていませんでしたので、ボンクと会うのはいつも旅先で、トロンコは外の世界でのボンクしか知らなかったのだと思いました。

トロンコにはそういったものが備わっていませんが、外で会うボンクは外の顔を持っています。

それは華やかな世界で生きてきた人独特の持ち合わせている雰囲気で、人に会うことを仕事にしているトップの人が身に纏っているものです。

でもウエストニューヨークで会うボンクはとてもリラックスしていました。

かっこいいボンクもいいけれど、ホームタウンでのボンクはより愛おしい存在に感じます。

二人はヒンディー語でいっぱいのインド人街にある、ボンクがよく来るというインド料理屋さんに行きました。

白いご飯が好きなトロンコですが、インドカレーだけはナンで食べたいと思っています。

焼きたての熱くて触ることもできないようなナンに濃い、複雑な味のインドカレーをつけて食べるのがとても好きでした。

インド料理店でつきだしに出されるものは、いつも正体不明ですがたいてい笑えるくらい辛いものが多い。

つきだしのせいだけでなく、インド料理屋さんは訪れる人を笑顔にさせ、話を弾ませてくれるとトロンコはいつも思っています。

ドギツい色の内装、度を越して激しいダンスばかりのVTR、音楽、トロンコの感覚からはとても無愛想に見えるインド人の店員さん。

インド人の店員さんの愛想がいいインド料理屋さんは不味いというのは、トロンコの定説になっていて、インド料理屋さんは無愛想でないといけません。

でもそれは無愛想なのではなく、無駄な笑顔がないだけで、お客様に対してヘラヘラ笑顔でいる方が失礼だという文化の違いということも理解していますが。

数時間しか会うことができなかったけれど、トロンコはボンクの住むウエストニューヨークを訪ねて、また今まで以上に友情を深めることができて、本当に良かったと思いました。

ただ一緒にご飯を食べるということが、とても大切なことで、これからも用事がなくても、

(本当はとても大切な用事だけど)ボンクとご飯を食べるためだけにウエストニューヨークを訪ねたいと思いました。

 

 

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夏の思い出

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ボンクには3才年下の弟がいます。小さい時はよくけんかもしましたが、ボンクは弟のことがとても好きでよく連れまわしていました。

 

ボンクと弟の遊び場は近くの公園でした。その公園にはグローブを持って行けばいつでも野球ができるくらいたくさんの友達がいました。まだ小さくルールもわからないため仲間に入れてもらえないボンクの弟も、転がるボールをみんなに文句を言われながら追いかけていました。

 

ボンクと弟にはこの公園でもう一つの楽しみがありました。

それは、毎週日曜日にトラックでやって来るホットドック屋さんで、優しいおじさんが一人で焼いていました。

いつもお母さんの目を盗んではお菓子ばかり食べていた弟はとくに楽しみにしていました。

日曜日ボンクと弟はお母さんにホットドック2つ分のお小遣いをもらい、公園で遊んだ帰り、おじさんが売っているホットドックを食べながら家に帰ります。

 

ある夏の日曜日、いつものようにホットドック2つ分のお小遣いをお母さんにもらい弟を連れ近くの公園に遊びに行きました。その日はとくに人が多く、野球をしているボンクの横で弟の目は常にホットドック屋さんに向いていました。

人が多いときは早い時間にホットドックが売り切れてしまうことを弟は知っていたのです。

弟はボンクを急かせましたが野球に夢中になっているボンクには届きませんでした。

そして野球が終わった頃には、ホットドック屋さんの車はなかったのです。

 

帰ってしまったホットドック屋さんの前で泣きながら座っている弟を見たとき、

子供ながらボンクは初めて弟に「なんてかわいそうなことをしたんだ・・・」と思いました。

ボンクは泣いている弟の手をとり家に帰りお母さんに手伝ってもらいながらボンクお手製のホットドックを弟に作ってあげました。

今から30数年前の夏の出来事ですが、ボンクはふと思い出すことがあります。そして今でも申し訳なかったという気持ちがこみ上げてきます。

 

そんなときは遠く離れている弟に電話をします。

「元気でやってるか?」ボンク

「おぉ、元気やぞ」弟

 

何気ない会話をしながらもボンクは心の中で「あの時はすまなかった」と思っているのです。

 

夏の思い出.jpg

トロンコが踏み出したきっかけ

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今からずっと前、トロンコが真剣に人生について思い悩む若者だった頃、お母さんが病気になりました。
ドクターから余命を宣告されていて、日ごとに弱っていくお母さんを看ながら、トロンコはただなす術もなく話し相手になるために傍にいるだけでした。

お母さんにしてあげられることは何なのかトロンコは考えていましたが、本当に何も浮かばす、一人ではないのだと思ってもらえるようにただ傍にいるしかありませんでした。
強い痛み止めが必要になって、お母さんは正気と夢の間をウロウロしていたけれど、正気になった時にはトロンコに感謝の言葉をかけてくれましたし、トロンコが立派に育ったことを今更ながらも喜んでいました。
でも実際トロンコは自分がお母さんをガッカリさせてばかりで、言うことを聞かない、あまり良い息子ではないことも分かっていました。
でもその時もクヨクヨ考えてばかりで、何の行動も起こせませんでした。

それでもお母さんはトロンコのことを全然心配していなくて、何をしてでもたくましく生きて行ってくれると思っていました。
そんなふうに言葉を交わした後、間もなくしてお母さんは混沌とした意識の中で逝ってしまったけれど、最期にお母さんの傍にいることができて本当によかったと、この時のことを後から考えて思うのでした。
外の世界と一切の関わりを絶ってお母さんの傍にいたのはたった3ヶ月間だけれど、そうやって長い時間一緒にいたのは子供の頃以来で、トロンコにとって今も心の中にある大切な時間だったと思います。
それまで将来に対してただ漠然とした不安を持つだけで、何の行動もしていなかったトロンコはお母さんを見送った後、小さな一歩を踏み出そうと決心しました。


トロンコは子供頃から勉強は嫌いでしたが、本は好きで読んでいました。
お母さんはトロンコのそんなところはいつも褒めてくれました。
勉強やスポーツは苦手で、上手くできることなんてなかったけれど、本をよく読んでいたせいか作文など文章を書くことはとても好きで、上手だと言われることもありました。
文章を書く仕事をしたい。
トロンコが夢中になった本の作者たちのように、それを読む人が夢中になれるものを書きたいと子供の時から思っていましたし、自由に時間を使って、好きな場所に行って、誰にも指図されずに自分の力で生きる作家たちのライフスタイルにも憧れていました。
お母さんとの別れで、トロンコは何もせずにただクヨクヨ考える自分とお別れしようと思いました。


何もしないうちから考え込むのではなくまず行動しよう。そして、それから考えようと思うと、不思議なことにとても軽い気持ちになって、全てのことが大したことがないように思えるようになりました。

それからトロンコはブラリと初めての旅に出たのです。

 


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