価値のあるもの

| コメント(0) | トラックバック(0)
 

ボンクがしばらくの間、寅さんのように日本で瘋癲旅をしたいということを日本からの手紙で知ったトロンコは、自身の仕事も兼ねて日本に行ってみようと思いました。

いつものトランクに着替えなどの旅の装備と、メモ用紙をいっぱいに綴じたメモノート、そして3本の万年筆。ペリカンM1000、アウロラ88そして手帳用のオマスミロード。

そして旅に出る時に忘れてはならないものが本です。
その時気に入っている作家の、旅に関する本をトロンコは持って出るようにしています。
トロンコが最近気に入っているのは、日本の中堅的な大物小説家、伊集院静です。
トロンコは伊集院静の文章がとても好きでした。
たくさんの小説を書き、多くの読者を持つ大作家であるにも関わらず、とても人間臭く、自分の弱さやだらしなさを隠さない。
でも他人に向けられる目は優しく、弱い心や矛盾した行動にも理解を示す。
その文章からトロンコは男らしさを感じたし、あんな風に他人への思いやりを持つ人になりたいと思いました。
文体は飾り気や気取りがなく、親戚の伯父さんと話しているようです。
伊集院静の旅行記を携えてトロンコは旅立ちました。

トロンコが日本でまず訪ねてみようと思ったのは、以前とてもお世話になった備前焼の陶芸家でした。
1日飛行機に乗って関西国際空港に降り、さらに長時間バスと電車に乗り、備前片上という備前焼一色の駅に降り立ちました。
この山間の、でも湾が入り込んでいる不思議な地形の町にはたくさんの陶工たちが大勢いて、しのぎを削り合っています。
トロンコが訪ねた陶芸家も中堅と言える世代だけど、その中に埋もれないように努力していると聞いています。
タクシーに乗ったり、村の人に聞いたりして、トロンコはやっと陶芸家の家にたどり着きました。

遠い国から来たトロンコに、出てきてくれた陶芸家の奥さんは驚いて家で休むように言ってくれましたが、すぐに会いたいと言うと、今陶芸家が窯入れをしている登り窯への道順を教えてくれました。
登り窯は村外れの全く人気のない、草を分け入ったようなところにありました。

山の中に突然トロンコが現れたので陶芸家は驚いていたけれど、再会をとても喜んでくれました。
トロンコが自分の仕事を始める直前に出会って、一人で仕事をしていくことの心構えを教えてくれたのはたった5年前だけど、トロンコはもっと前のことのように感じられました。
そして1週間は薪をくべながら焚き続けなければならない窯入れにトロンコも一晩だけ付き合いました。
登り窯の口から中に薪を入れる陶芸家の後ろ姿を見ながら、トロンコは物作りの原点を見て、自分たちの生活はいつからたくさんのどうでもよいものに囲まれるようになってしまったのかと思いました。

たくさんのものを欲しがるから、少しでも安いものが必要になって、愛着の持てないものを手に入れるようになる。
生産者は手間ひまかけて作った、どうしても値段が高くなってしまうものが売れないから、安い値段でたくさんの数ができるものを世の中に出す。
それらは同じ用途のもので、その機能はどちらも満たすけれど、使う人に及ぼす心の作用は全く違っている。
数は少なくても、陶芸家が焼き上げる備前焼のようなもの、ひとつひとつのものに愛着が持てるものをどうせ持つのなら持ちたいと、トロンコは思いました。
でも世界の物作りは、少しでも値段の安い大量生産に向いて久しい。
一部の人は既に思い始めている、たくさんは持たなくてもいいから愛着の持てるものを持ちたいという要求に、今応えることができるのだろうか?
以前のように手間ひまかけたものを作るやり方に戻ることができるのだろうか?
きっと戻ることはできなくて、現在の物が売れない状態になっているのではないかと、トロンコは思うのでした。

山奥でひとつひとつの器を焼き上げる陶芸家の大きな背中をトロンコはその目に焼き付け、次の町に旅立ちました

 

価値あるもの.jpg

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://writinglab.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/46

コメントする

このブログ記事について

このページは、旅の扉 writing lab blog 管理人が2012年10月 9日 18:15に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「素敵な酒場」です。

次のブログ記事は「バーにて」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。