2015年1月アーカイブ

珍しく仕事について語る(S等氏の場合)

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皆様こんにちは、S等です。
ところでこの温度差はなんだろう?
Kが、まじめに語っているのに、Yが遊びを語る。
私は以前からきっとKが社長でYが雇われた万年筆研ぎ師ではないかと思っています。
ところでKの話の続きではないですが、阪神の震災で、私は半年くらい東京から神戸に調査に来ていました。
当時は甲子園までは普通に交通機関がありましたが、甲子園を境にすべての交通網がストップしており(実際に道がなかった)、また神戸港も堤防が破壊しており、船を停泊する事ができない状態でした。
そこで甲子園から入った訳ですが、最初に見たのは、西宮寿司屋が、店前で寿司を作って被災者に配っている光景でした。
寿司屋いわく、どっちにしてもネタが腐るのでというのが理由です。
次に見たのが43号線を複数のピザ屋の配達員たちが3輪バイクを駆使し、神戸の方に入ってくる光景です。正直、自衛隊よりはやくきていました。
かれらは大阪の大手チェーンピザ店で、ピザを被災地に持ってきてくれたそうです。
ところで皆様はきっと、 このS党が寿司やピザに手を出したのでないかと思っているかもしれませんが、この時点ではS等は手を出していません。食べておけばよかったと後悔は
しています。
S党は東灘区、中央区、長田区に長期滞在しました。これらの地区はかなりひどい状態で、多くの人が小学校などに避難しており、色々話をききました。
ほとんどの人が家に帰れず、そのがれきの中から鍋など料理道具をもってきて食事を作っていました。

ところで報道と違い、当時はどちらかというと悲惨なイメージよりも、避難場所にはとても団結感があり(特にトイレに水が流れない点が不満で、みんなで必死で水汲みをしてトイレを流していた。)、またかなりの笑いもありました。
S等も現地でうけており、正直、後で吉本に転職しようかと思ったくらいです。
被災地についてはかなりまじめな議論もできますが、ここではやめておきます。
もし聞きたい人がいれば個人的にお話しします。
ところで現地で一番おいしかったのはイスラム教の人が配っていた食事でした。
それと当時のイスラム教の人のハイテクがすごかった事を覚えています。
テントの中に衛星中継機があり、海外からどのような支援をすべきかやり取りしていました。さすがお金持ち。

また神戸の震災もこの前の東海大震災でもそうですが、奪略事件がほとんど起きないのは日本だけではないでしょうか?
当時、三宮の周辺では若干、奪略事件があり警戒地域になっていましたが、S等はあまりの疲労でうっかり車の中で夜中まで寝てしいましたが無事でした。
今年、メディアでは神戸震災の悲惨さを伝えていますが、実際にはそんなに悲壮感は現場ではありませんでしたし、メディアが悲惨を売りにするのはあまり建設的ではないように思えます。
実際に被災地ではテレビ番組は当時もかなり不評でした。それは当たり前で、被災者は今すぐに前を見て生きなければならないのに、テレビでは後ろ向きな事ばっかりやっていたからです。
私は同情から人がよくなるのを見た事がありません。むしろ害でしかないと思います。
人を助ける事ということは、人を同情する事とは違うと思います。
私なんかは、毎回、Kにコーヒーに毒を盛られて、そのおかげでどんな毒にも耐えれる体を得られました。そういうことです!
ところで今回は「仕事に関する事」ですので、私の経験からまともな事を少しだけ列挙します。

その1 クビになる事を恐れている人は仕事をしていない。そういう人は報告すべき大切な事を報告せず、事態の悪化を放置し、結果一番恐れている事が起こります。


その2 悪い事ばかり報告してくる部下も仕事していない。ですが、自分で解決すべき事を解決せずに、その事を押し付けてくる人も同じように問題です。


その3 君子は豹変する。
私の知っている人で性格は自分勝手で、誰に対しても怒るときはものすごく怒るし、態度も尊大な人がいました。ですが、自分にも厳しく、また大抵この人の意見は正しく、間違っている時でも、他の人がそれを指摘し、本人が理解した時には態度が豹変し、すぐに修正するので、この1点だけで部下からは尊敬され、上層部からも信頼されていました。
君子とは必ずしも人にやさしく、怒らない人でもなく、どのような状況でも正しい方向へ物事を持って行ける人なのだと思います。


その4 仕事にも遊びの精神は大切
とんでもないと思われる方もいるでしょうが、実際遊びの精神がないと仕事は続きません。又は何も生み出さないでしょう。
私の場合は、外部に訪問するときは友達の家に遊びに行く気持ちで行きました。そうすると大抵、うまく行きました。
または深刻になればなるほど仕事もだめになるという事も事実だと思います。


その5 自分を肯定する事
自分が間違っている事をわかっているのに肯定してもただの正当化なので意味はなく害だけしかないと思います。ですが、それ以外で自分が否定されたことで反省したりすることもまた同じように意味がなく、害しかないと思います。
ですから自分に憶えがないのに否定された場合、無視するのが一番だと思います。


その6
この社会には一般に賢いといわれる職業についている人がいます。
で、そういう職業の人の中には時々何も知らない人がいます。そういう人に限り、他の人の無知をバカにする傾向にあるようです。で、あまりいい仕事もできないみたいです。


その7
客観的な仕事の重要性と主観的な仕事の重要性は反比例しているように思います。
名目上の地位はともかく、実際に重要な仕事をしている人ほど組織の事を考え、あまり重要ではない人ほど、自分の重要性を大切に思っているように思います。

で、まじめな話はこれくらいにしておきます。1日5分が限界です。

またよろしくお願いします。

 

仕事と父と

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こんにちは、スタッフKです。今月のテーマは「仕事について」。・・・ちょっと真面目に語ります。

私の父は本当に一般的な昭和のサラリーマンでした。

決まった時間に会社に出掛け、ほぼ毎日決まった時間に帰宅する。日曜祝日は当たり前のように休日。

そんなサイクルを365日、繰り返していたように思います。

父は家で仕事の話は一切せず、仕事をすることもありませんでした。そのため子どものころは、父が何の仕事をしているのか全く知らず、「職業はサラリーマン」と思っているほど。仕事以外に趣味もなく、家にいるときはテレビを見ているか新聞を読んでいるか。そして夜は9時過ぎには一人早々と寝てしまう。家族と何かするという事はほとんどなかったのです。

物心がついたころ、どうやら鉄道会社に勤めているエンジニアらしいという事が分かりました。そういえば学生の時、数学を教えてもらうのは必ず父でした。

父の仕事に絡む記憶にあるのは、私がまだ小学生のころ、給料がまだ現金で支払われており(!)、給料袋のお札を数えさせてもらったという事くらいでしょうか。ボーナスになると封筒が立ったりして、それは盛り上がった・・と思うのです。

他の家庭は分からないけれど、父というものは家では寡黙な存在でした。そのせいだけではないけれど、私が「仕事」というものがどういうものなのか、考える事はありませんでした。

そのうち私は文房具店に勤務するようになり、父とは全く違う分野の職種に就きました。時間も不規則なら休日も不規則、家で仕事をすることも普通でした。当時私は、「日々会社という場所に行けば、お金がもらえる」と漠然と思っていた気がするし、父にとって仕事というものがどういうものなのか、あまり重要ではないのではないかとさえ思っていました。

 

そして1995年1月17日5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。

明石に住んでいた私達は、全員無事な事を確認すると、余震に怯えながらラジオを聞いていました。震源地が淡路と言っていたので、おそらくこの辺りが一番ひどい状況なのではと思っていました。

しばらくは火事が怖くて電源を入れられなかったけれど、明るくなってからやっとつけたテレビには神戸のひどい惨状が映し出されていました。

その中に、父の会社の電車が横倒しになっている映像がありました。

無言だったけれど、父はしばらくすると家の電話が繋がらないので使える公衆電話を探しに出かけました。

そうして危険だから、と家族が止めるのも聞かず、会社へ出かけて行きました。

それから一週間、父は帰ってきませんでした。当然ながら電車もバスも動いていない中、車両の倉庫がある寝泊りの施設何てない場所で、寝泊りしていたのです。

自分の整備している車両の状態を見て、行動を起こさずにはいられなかったのだと思う。

私はと言えば、電車が通じていないことを理由に10日間は家で過ごしていました。

その時初めて、父の仕事に対する責任感とプライドを見た気がしました。

 

それ以来、仕事に対して責任感とプライドを持つことは、実は私の中に密かにあります。

どんな仕事をしていても、それは人の役に立つことだと思うし、本気で取り組めばどんな仕事にもやりがいは生まれます。

自分のやりたい仕事を探すのもいいけれど、何でもいいから仕事を初めて、一生懸命にやればいい・・と思うのです。

 

 

仕事と遊びと

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正月に買ったニコンの古いレンズをつけてみました。

私の遊びは全て仕事につながっていると信じています。

それは今のように自営業になるずっと前から思っていたことで、休みの日に食事に行った店で良いサービスを受けたらそれについて考えて、自分の仕事のサービスの質を高めるのに役立てることができるし、映画を観て感動したら、その感動を仕事の仕掛けに盛り込むことができる。

他所で受けたサービスについて考えることは、サービス業である、店で働く私たちの仕事の血となり、肉となっている。

ただ休みなく、悲壮感の中で仕事しても仕事の質はなかなか上がらないと思ってきました。

だから堂々と休んで、堂々と早く会社を出る。

何か欲しいものができて、それを買おうと思った時も自分がお客の立場に立つことでお客様の心理がとてもよく分かります。

遊ぶことで自分の仕事を良くすることができるから、まともにいかないから店という仕事は面白いと思っています。

以前はシリアスに考えていたけれど、今は開き直るような気持ちでいて、楽しんだもの勝ちなのが店という仕事なのだという結論にたどりついて、私は何でも楽しんで、楽しみながら考えたことを仕事に反映させたいと思っていて、そこにオンリーワンになるための要素が隠れているように思っています。

でも、私が楽しむための大義のようなものがあって、それは世の中を良くするということです。

とても大袈裟な感じに聞こえるかもしれませんが、私は万年筆を使う人を増やすことで世の中を良くしたいと思っています。

万年筆を使うと書くことが楽しくなり、書くために本を読むことが楽しくなり、書くために考えることが楽しくなる。そして書くことが楽しくなると仕事が楽しくなり、毎日が楽しくなる。

そんな人を増やすことで、人生を楽しめる人が増えると世の中は良くならないわけがない。

きっとそれは続いているどんな仕事でも同じだと思います。

きっとカメラ屋さんは、多くの人が写真に凝ったり、カメラを楽しむように仕向けることで、世の中を良くしたいと思っていて、服屋さんはお洒落を楽しむ人を増やすことで、毎日をより張り合いを持って生きるひとを増やしたいと思っている。

先日の忘年会で改めて思ったことで、比べると次元が違うと周りの人から怒られるかもしれないけれど、狂言師の安東伸元先生は狂言を多くの人に知ってもらうことで世の中を良くしたいと思っておられて、それが安東先生の原動力になっている。そんな人の前では芸術を自己表現や自己顕示欲の手段に思う人はとても小さく見えるのかもしれません。

楽しみながら営む自分の生活全てがそれに向かっていて、どこからでもヒントを持ってくることができる。そして、それで世の中を良くできるように多くの人と分かち合いたいと思うもの。それが私にとっての仕事になっています。

 

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