仕事と父と

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こんにちは、スタッフKです。今月のテーマは「仕事について」。・・・ちょっと真面目に語ります。

私の父は本当に一般的な昭和のサラリーマンでした。

決まった時間に会社に出掛け、ほぼ毎日決まった時間に帰宅する。日曜祝日は当たり前のように休日。

そんなサイクルを365日、繰り返していたように思います。

父は家で仕事の話は一切せず、仕事をすることもありませんでした。そのため子どものころは、父が何の仕事をしているのか全く知らず、「職業はサラリーマン」と思っているほど。仕事以外に趣味もなく、家にいるときはテレビを見ているか新聞を読んでいるか。そして夜は9時過ぎには一人早々と寝てしまう。家族と何かするという事はほとんどなかったのです。

物心がついたころ、どうやら鉄道会社に勤めているエンジニアらしいという事が分かりました。そういえば学生の時、数学を教えてもらうのは必ず父でした。

父の仕事に絡む記憶にあるのは、私がまだ小学生のころ、給料がまだ現金で支払われており(!)、給料袋のお札を数えさせてもらったという事くらいでしょうか。ボーナスになると封筒が立ったりして、それは盛り上がった・・と思うのです。

他の家庭は分からないけれど、父というものは家では寡黙な存在でした。そのせいだけではないけれど、私が「仕事」というものがどういうものなのか、考える事はありませんでした。

そのうち私は文房具店に勤務するようになり、父とは全く違う分野の職種に就きました。時間も不規則なら休日も不規則、家で仕事をすることも普通でした。当時私は、「日々会社という場所に行けば、お金がもらえる」と漠然と思っていた気がするし、父にとって仕事というものがどういうものなのか、あまり重要ではないのではないかとさえ思っていました。

 

そして1995年1月17日5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。

明石に住んでいた私達は、全員無事な事を確認すると、余震に怯えながらラジオを聞いていました。震源地が淡路と言っていたので、おそらくこの辺りが一番ひどい状況なのではと思っていました。

しばらくは火事が怖くて電源を入れられなかったけれど、明るくなってからやっとつけたテレビには神戸のひどい惨状が映し出されていました。

その中に、父の会社の電車が横倒しになっている映像がありました。

無言だったけれど、父はしばらくすると家の電話が繋がらないので使える公衆電話を探しに出かけました。

そうして危険だから、と家族が止めるのも聞かず、会社へ出かけて行きました。

それから一週間、父は帰ってきませんでした。当然ながら電車もバスも動いていない中、車両の倉庫がある寝泊りの施設何てない場所で、寝泊りしていたのです。

自分の整備している車両の状態を見て、行動を起こさずにはいられなかったのだと思う。

私はと言えば、電車が通じていないことを理由に10日間は家で過ごしていました。

その時初めて、父の仕事に対する責任感とプライドを見た気がしました。

 

それ以来、仕事に対して責任感とプライドを持つことは、実は私の中に密かにあります。

どんな仕事をしていても、それは人の役に立つことだと思うし、本気で取り組めばどんな仕事にもやりがいは生まれます。

自分のやりたい仕事を探すのもいいけれど、何でもいいから仕事を初めて、一生懸命にやればいい・・と思うのです。

 

 

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このページは、旅の扉 writing lab blog 管理人が2015年1月13日 10:58に書いたブログ記事です。

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