2016年3月アーカイブ

時間のリズム

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こんにちは!

WRITING LAB.スタッフMです。
こちらのブログでは初めましてと言うことになりますね。
よろしくお願いします。
 さて、今月は「時」についてお話しする訳ですが、僕は自分の中のリズムについてお話ししようと思います。
 
皆様も経験された事があると思うのですが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、退屈な時ほどやたらと長く感じませんか?
僕はこの感覚を自分自身のリズムと考えており、過ごした時間の質の良し悪しを判断する際の基準としております。
大学生の頃はこのリズムを大いに活用し、学業にバイトに香道にと打ち込んでおりました。
 
大学生活はそれまでとは違い、自分で授業計画を立てなくてはならなかったので、授業を(真面目に)受講した時に感じるリズムで、続けて受講するか否かを考えました(学期始まりの頃は履修のし直しが出来るため)。
しかしこの履修方法はオススメ出来ません。
理由は僕の成績表を見ればわかります...
 
アルバイトでもこのリズムを感じていました。
とある緑のエプロンのカフェでアルバイトをしておりました。
入社したての頃、いろいろな仕事を教わり、ある程度慣れて来たなと思った時に、働く中でのリズムを感じる様になりました。
レジ打ちや皿洗いの仕事中は、時間がとてもスローに感じ、ドリンクを作る仕事はあっと言う間に終わってしまう。
仕事の持ち場はそれぞれ一時間ずつで交代するのですが、同じ一時間でも、感じ方は随分と違いました。
一日八時間働く中で、仕事内容によって感じるリズムはまるでバラバラ。
そうしたリズムの差にストレスを感じて、どの仕事でも同じリズムで過ごせる様に努力しよう!と珍しく頭を働かせ、出た解決策は「何事も真剣に頑張る」でした。
地味で退屈な皿洗いも、先の事を考えて何分までに片付ける!と決めて取り組むと驚く程に楽しい仕事となり、自然と効率的な身のこなしが出来る様になりました。
そうして過ごす様になってからは、全ての仕事がやり甲斐のある楽しい物となり、会社に愛すら感じる様になり、結果として五年も働いておりました。
飽き性なのになぁ...
 
とは言え、日常生活にトラブルは付き物。
上手く働けなかったり、人間関係のイザコザに巻き込まれたりで、穏やかでない精神状態で帰宅する事もしばしばありました。
そんな日は眠りに就くまでずっと悶々としてしまい中々寝付けなくなってしまいます。
布団で悩む時は大抵リズムが速くなってしまう様で、気がつけば「え⁉︎もう四時⁉︎明日は一限から授業なのに〜‼︎」と言った状態に。
これでは次の日のパフォーマンスが下がってしまいます。
何とかせねば〜何とかせねば〜!と悩んだ時に、ふと「そういや私お香聞けるやん」と思い至るのです。
香の世界には「香十徳」と言う、香を聞く事によって得られる十の徳があります。
その中に「能覺睡眠(よく睡眠を覚ます) 」と「塵裏偸閑 (塵裏に閑(ひま)をぬすむ )」があります。
前者は、慌ただしい気持ちを落ち着かせてあげるよ〜と言っており、後者は良い睡眠をとらせてあげるから明日はスッキリ目覚めんしゃいと言っております。
ありがたいですね。
僕は香を聞いている時間が大好きです。
香の香りは時の流れを忘れさせ、心の中に何物も寄せ付けない空間が生じます。
その中心に己を置き、ひたすら香りに聞き入る時間はとても神聖な物だと思います。
この時だけ、自分のリズムから解放されるのです。
あと、香十徳の一つに「静中成友(静中に友と成る)」とあります。
これは、「誰も周りにいないの?じゃあ私がついといてあげるよ!」と言って寂しさを紛らわせてくれるのです。
友達少ない僕にはピッタリ!(うるせぇ!)
 
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時間

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こんにちは。Y田です。

今月のテーマは「時間」だそうです。いや~、抽象的なテーマですね。まあ、抽象的なぶん、書ける内容の幅が広いので、よしとしましょう。

 

ところで、今回は経済学っぽい話をします。

 

時間と言われて真っ先に浮かぶのが、「機会費用」です。機会費用とは、「ある行動を選択することで失われる、他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のこと」です。

たとえば、大学で勉強するということは、大学に授業料を納めなければならないというだけでなく、その間、正社員として働くことを諦めることでもあります。
このとき、もし大学に通わずに働いていたならば得られたであろう収入が、機会費用にあたります。(
 Websiteより引用)。

この文章を書いている時間も、副業などのアルバイトをすることによって、賃金が得られるでしょう。いままさに機会費用が発生しているのです。そうです。昔の人は良く分かっていたのでしょう。「時は金なり」なのです。時間とお金は表裏一体。

 

しかしながら、このように、理論上ではよくわかっていても、それを行動に反映できないのが、私の悪い癖。わかちゃいるけど、時間をついつい浪費してしまうのです。何か仕事をしていても、関係ないことが急に頭に浮かんできたりして、そっちに集中してしまい、やるべきことが出来ずに、ダラダラと過ごしてしまう・・・。今年こそはこの悪い癖、直したいものです。

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時間について~S等氏の場合~

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今月のお題は「時間」です。
今年の2月、奈良にいき、いろんな仏像を見ました。
ところで私の時空状態探索装置(一般には眼鏡市場の1万5千円(税込)の眼鏡として知られる)で見ると、仏像の周囲や法隆寺全体は時空停止フィールドに包まれており、当時
から時間が進んでいないようです。
実際に行ったのは東大寺の二、三、四月堂や戒壇院、興福寺の国宝館、東大寺のミュージアムや、法隆寺に行きました。

これらは、あるペンアンドメッセージのお客さんに勧められた場所です。三月堂や戒壇院の仏像はすごかったです。軍事オタクの私としては四天王の服装が中国の当時(唐)の軍服であったことに興味を引かれました。

また仏像の中にはインドの武器を持っているのもあり(これはよくある)、国宝館にはヒンズー教の神様が仏像になったものもある事を考えると、日本は海外からいろんな物を取り入れて発展した国だなーと実感します。

興福寺国宝館には下の絵のように有名な阿修羅像があります。

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個人的に国宝館で一番欲しいのは天燈鬼と龍燈鬼の像です。

今までずっと踏みつけられてきた鬼が初めて主役となった感じで、なぜか「がんばれー」
と言いたくなりました。

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の後、東大寺の大スター奈良の大仏をディスり、治安の悪い東大寺の前の道で次々と観光客が地元のストリートギャングたち(鹿)に襲われ悲鳴を上げているのを横目で見ながら、2日目は法隆寺に行きました。

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*ところで法隆寺はまるで何かの裁きの場所みたいです。
おもわず前に出て正座で、「つい出来心で~」って言い訳したくなりました。

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時について~スタッフKの独りごと~

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こんにちは!WRITING LAB.スタッフKです。今回のテーマは「時について」・・・壮大です・・・。

色々な切り口があるテーマですが、今回は感覚的な時間を数字に置き換えてみました。

訳が分からないかもしれませんが・・。ちょびっとだけ、お付き合い下さい。

私をご存知の方はさもあらん、と思われると思いますが、ほぼ感覚だけで日常を過ごしていると思います。

明るくなったら朝、暗くなったら夜。お腹がすいたらごはん時。お店の時計がボーン、ボーン・・・と鳴るのを数えずとも何となく時間を理解する。

でも、多分このくらいが朝ではないだろうか、と言う時間を考えてみました。

4時・・・すごく早起きの人は起きている時間、でも私の感覚では夜。

じゃ、4時半・・・いや、まだ夜な感じ。

じゃ、4時45分・・・う~~ん、ちょっと朝の気配が・・。

4時50分・・・あ、何となく朝な気がする!

という訳で、季節による明るさを考慮せず、時間の印象だけで私の朝は4時50分のようです。

そして昼は・・・11時・・・まだ朝かな。

11時20分・・・もう一声!

11時35分・・・あ、ここでしょうか。何となくお昼です。

きっとこういう感覚はその人の生活習慣ですごく変わるもので、11時くらいにマンション内のエレベーターで居合わせたら「おはようございます」と「こんにちは」がハモったりして。朝が早い人は昼も早いのでしょうか。お昼ご飯早めに食べたら、その後は「こんにちは」だし。

 

小学生の頃は、一番好きな時間があって、それは「土曜の2時半」でした。

午前中の学校を終え、お昼ごろには家で吉本を見ながらごはん。当時はお習字の稽古に通っていましたが、それを終わらせればあとは自由時間、土曜の夜のお楽しみのドリフ、そして翌日は何でも出来る日曜日!!

何をするからということではなく、その「自由な時間の想像」が嬉しかったです。

楽しい時間を過ごすのももちろんも楽しいけど、その時間を待ち遠しく思う感覚も楽しい。まあ、大人になると逆の場合もありますが。

そして1か月のイメージや曜日感覚は、「カレンダー」によって育てられている気がします。

毎日今日は何日で何曜日で、来週には〇〇があって、次の日曜は〇〇さんと会って・・と考えているから。

視覚的に日曜は左端にあるけど、週の始まりは月曜日から。その辺りも目で理解していると思う。

一般的なカレンダーの形が、大人になるほどいつの間にか頭に刷り込まれているのかもしれませんね。

自分の「時間」と言う感覚についてじっくり考えると、人と違いがあってちょっと面白いですよ。

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時について

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今月のテーマは"時"です。

今月は5人のメンバーが、自分の時間について語ります。

 

かなり漠然とした自由度の高いテーマで、KNZさんから「時なんかどうですか?」と言われて、それでいこうと決まった時に、何でも書けるとタカをくくっていましたが、思い浮かぶことがバラバラで、なかなかまとまらない難しいテーマでした。

 

時と言ってもどこを切り取るかで、全く意味合いが違ってきます。

一日で切り取るのと、地球の46億年の歴史で切り取るのとでは全く違っていて、そこに自分が存在するかどうかで、その見方が違ってくるのかもしれません。

 

でも私たちが生活している今この時間も、1億年前の恐竜たちが存在していた時も同じ速さで時間が流れていたと思うと不思議な気がします。

 

地球がものすごく長い時間をかけて、ゆっくり、本当にゆっくりと作ってきたものを人間は一瞬にして自分たちのその時の都合だけで破壊しているのはあまりにももったいないことで浅はかなことだと皆気付いているけれど止まらない。

それでも、地球の歴史において何度かあった生物の大量絶滅はそれらが作られた時間に比べると一瞬のことだったようなので、人間もいつか一瞬にして絶滅して、地球はまた元の自然を取り戻していくのでしょう。

 

文明の進歩のスピードが私たちが体感できるくらい加速していて、でもそれはただテクノロジーが変わって、変化が早くなっただけで、時間の流れ自体は変わっていない。

 

恐竜たちの時代が15000万年ありましたが滅びてしまい、それは地球の歴史の中でのほんわずかなワンシーズンくらいの期間でした。

人類の歴史が20万年としたら、まだ続くかもしれませんが、いずれ滅びてしまうなどと考えていると、自分の生涯の時間など、ものすごくわずかな点にもならないくらいのものです。

 

その点にも満たない人間の生涯の中で、歴史に名を残したとか、財産を残したという人間にできることなどは、本当に何の痕跡も残っていないのと同じものです。

 

万年筆の歴史で考えても、過去に私と同じように万年筆片手にあがいた人はきっとものすごくたくさんいて、私がやっていることは多くの人がやっていたことと変わらないのかもしれず、私もきっとその人たちと同じように、万年筆の歴史の中に埋もれてしまい、地球の歴史においてはいなかったも同然の存在なのだと思います。

 

それでも私たちはこの地球の歴史に何の影響も与えない短い生涯を少しはマシなものにしょう、死ぬときに自分だけは「まあ悪くなかった」と思えるような時間を過ごそうと思うのでしょう。

 

「時」と聞いた時に、私は地球の今までの時間と人の一生を比較して、そのあまりにも大きな差と何があっても同じ速さで流れ続ける揺るぎなさに人間の無力さをとても痛快に感じます。(Y)

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