時について

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今月のテーマは"時"です。

今月は5人のメンバーが、自分の時間について語ります。

 

かなり漠然とした自由度の高いテーマで、KNZさんから「時なんかどうですか?」と言われて、それでいこうと決まった時に、何でも書けるとタカをくくっていましたが、思い浮かぶことがバラバラで、なかなかまとまらない難しいテーマでした。

 

時と言ってもどこを切り取るかで、全く意味合いが違ってきます。

一日で切り取るのと、地球の46億年の歴史で切り取るのとでは全く違っていて、そこに自分が存在するかどうかで、その見方が違ってくるのかもしれません。

 

でも私たちが生活している今この時間も、1億年前の恐竜たちが存在していた時も同じ速さで時間が流れていたと思うと不思議な気がします。

 

地球がものすごく長い時間をかけて、ゆっくり、本当にゆっくりと作ってきたものを人間は一瞬にして自分たちのその時の都合だけで破壊しているのはあまりにももったいないことで浅はかなことだと皆気付いているけれど止まらない。

それでも、地球の歴史において何度かあった生物の大量絶滅はそれらが作られた時間に比べると一瞬のことだったようなので、人間もいつか一瞬にして絶滅して、地球はまた元の自然を取り戻していくのでしょう。

 

文明の進歩のスピードが私たちが体感できるくらい加速していて、でもそれはただテクノロジーが変わって、変化が早くなっただけで、時間の流れ自体は変わっていない。

 

恐竜たちの時代が15000万年ありましたが滅びてしまい、それは地球の歴史の中でのほんわずかなワンシーズンくらいの期間でした。

人類の歴史が20万年としたら、まだ続くかもしれませんが、いずれ滅びてしまうなどと考えていると、自分の生涯の時間など、ものすごくわずかな点にもならないくらいのものです。

 

その点にも満たない人間の生涯の中で、歴史に名を残したとか、財産を残したという人間にできることなどは、本当に何の痕跡も残っていないのと同じものです。

 

万年筆の歴史で考えても、過去に私と同じように万年筆片手にあがいた人はきっとものすごくたくさんいて、私がやっていることは多くの人がやっていたことと変わらないのかもしれず、私もきっとその人たちと同じように、万年筆の歴史の中に埋もれてしまい、地球の歴史においてはいなかったも同然の存在なのだと思います。

 

それでも私たちはこの地球の歴史に何の影響も与えない短い生涯を少しはマシなものにしょう、死ぬときに自分だけは「まあ悪くなかった」と思えるような時間を過ごそうと思うのでしょう。

 

「時」と聞いた時に、私は地球の今までの時間と人の一生を比較して、そのあまりにも大きな差と何があっても同じ速さで流れ続ける揺るぎなさに人間の無力さをとても痛快に感じます。(Y)

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このページは、旅の扉 writing lab blog 管理人が2016年3月 1日 10:25に書いたブログ記事です。

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