月という存在~スタッフKの場合~

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        *自宅からの月。簡単カメラなのでちょっとぼやっとしています

今月は月について。テーマが決まってから、昔から好きだった月について改めて考えました。

自分の中で、月は何となく特別な存在です。それはなぜだか分かりませんが、月を見ると懐かしさというか複雑な感情が沸き上がります。もしかしたら人間なら誰しも抱く思いなのかもしれませんが、それを子供の頃から感じています。

そもそも、地球という天体の衛星としては月は不釣り合いなほど大きくて、どうしてそこにあるのか今なおはっきり解明されていません。存在していて、私達が地球から見ることが出来ている事自体、奇跡のように感じます。

普段すぐそこに見えていても何の影響もなく生活している気がしますが、月の引力は潮の満ち引きをはじめ確かに地球に影響している。月を見ていない人間なんていないから、歴史上の人物も同じ月を見たと思うと、やっぱり不思議な感覚になります。

月、という天体にも興味がありますが、地球から眺める情景はさらに興味があります。

月が存在する風景は侘び寂びを表している気がして、心の奥に郷愁にも似た感情が湧くのはそのせいかもしれない。

気付けば月のポストカードや本もなぜかたくさん持っていて、何かあると外で月を眺めてしまいます。

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月を見ていると簡単に「無」になれる。夕焼けの空を見てもその風景で頭を満たすことができます。

あれは中学の頃だったか、本当に見事な夕焼け空だったので、自転車に乗ってきれいに見えるスポットを探しました。

その時たどり着いたのは警察署の前で、さすがにそこでその建物を見上げているのはおかしいと思い、前の公園の滑り台の上で陽が沈むまで見ていたのを覚えています。

太陽が沈んで月が光を放ち始めるときも、完全に夜空に浮かび上がった時も、どれをとっても情感があっていい。

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 月を題材にした物事は数限りなくありますが、中でも月の形と昇る時間によって変わる名前が情緒があって素敵だと思います。

新月・朔から少しだけ光を浴びた三日月(みかづき)、そのまま右半分だけ明るくなった上弦の月(じょうげんのつき)、満月まであと少しの十三夜(じゅうさんや)、満月の十五夜(じゅうごや)。

十五夜より少し遅れて上る十六夜(いざよい)、日没後に立って待っていれば月が出るという意味の立待月(たちまちづき)、座って待つくらいの居待月(いまちづき)、そして寝待月(ねまちづき)。

夜が更ける頃に上る更待月(ふけまちづき)、そして左半分だけ光を浴びた下弦の月(かげんのつき)。

どれもどれだけ月待つつもりなん、と思うけれど、素敵な呼び名だなあと思います。

といいつつ、低い位置の上弦の月なんて見たらちょっと赤くて、ゴジラが立ってたらあの辺が目なんだろうなぁと妄想したりしています。けっこうリアルに見えますので、ぜひ一度妄想してみて下さい。

 

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コメント(2)

まあ、月となればコメントせねば。
母星に対して不釣り合いなほどの大きさで、青白い光を滴らせて静かに輝く天空の銀盤は、古来から愛でてこられただけあって、やはり美しく、呼び名もいっぱい。
それに、古代はもっと近くにあって海の満ち干きも大きく
浜辺に取り残されて生き残ったものが海から地上に這い上がったという説もあり、我々地上の生物は、月に呼ばれて海より出るなのだなーとも思うのですよ。
母星以外の天体が、あの大きさで見られるというものすごくラッキーなことをしみじみ感じながら、みなさん、月を見ましょう。

Hさま

楽しみにしていたのですが、せっかくの十五夜も十六夜も曇り空で観られませんでした。
どんな形の月でも観ていられますが、満月はまた見応えがあって好きです。Hさんから月子、と言われるが所以ですね(笑)!

宇宙の中の地球を感じられる初めての天体はおそらく月なのではと思います。
台風が去った後は、きれいな月が観られるでしょうか・・。

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このページは、旅の扉 writing lab blog 管理人が2016年9月13日 10:29に書いたブログ記事です。

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