2016年11月アーカイブ

スポーツ~スタッフMの場合~

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A490198b_2.jpgこんにちは!なで肩のスタッフMです。

ちっちゃな頃からなで肩で、12でコケシと呼ばれたよ。

とっくりみたいになだらかで、掛けたカバンは、みな落ちた。

解ってくれとは言わないが、以上の様なことがあったのでなで肩がコンプレックスでした。

 

母は幼少期の僕の後姿から将来なで肩になると予測していたのか、5歳の頃からスイミングスクールに通わせてくれました。

水泳を続けておりますと自然と肩幅が広くなりますので、それを狙っていたのかもしれません。

小学生の間は選手育成コースと言った本格的なコースには行かず(行けず)、基本的な泳ぎの型をみっちり体にたたき込んでおりましたので、さほど体型に変化はありませんでした。

中学生になり、選んだ部活は勿論水泳部でした。

スポーツ、特に球技全般は非常に苦手でしたので、早々に地表でのスポーツを選択肢から除外したわけです。

水泳部のシーズンは早い時は5月から始まり遅い時は10月中旬頃に終わりを迎えます。よってシーズンの始めと終わりは大変寒い思いをするのです。シーズンオフの間はランニングや筋トレに専念し、来シーズンを待ちわびます。

 

そんな部活生活を送っておりますと徐々に筋肉量は増し、肩幅も広がり、コケシやマッチ棒と言った悪意あるあだ名で呼ばれることは無くなりました。でもめでたしめでたし・・・とはなりません。

確かにそれまでよりはマシな体型にはなったものの、なで肩は依然としてなで肩のままで、むしろなで肩のまま肩幅が広がったためなで肩レベルが上がるだけといった結果に終わりました、僕の青春。

よってなで肩に悩む方に言います。水泳でなで肩は改善されません、はい。

もちろん僕の水泳生活は、何も心のダメージを増やすためだけにあったわけじゃありません。同級生や先輩後輩先生などの豊かな人間関係の構築や、試合や大会に出て練習成果を発揮したりなど、様々な経験を積むいい時間でありました。

 

ところで皆さんは水泳の試合とはどんなものかご存知でしょうか?

オリンピックや水泳大会テレビなどをご覧になられた方なら想像しやすいかと思います。

しかし、見る側と泳ぐ側とでは当然ながら感じるものが全然違います。僕はもっぱらフリー(クロールが一般的だがどの泳法でも良い)の50Mや100Mなどに出場しておりました。

大会の大きさにもよりますが、この種目は人気が高いのかエントリーする人数が結構多いのです。

しかしプールのコースは多くてせいぜい10コースといったところ。250名の選手が一気に泳ぐわけにはいかないので、あらかじめ自分の出せるタイムを算出し、それと一緒にエントリーします。そうして集まったエントリーを、タイムの遅い者から順に8名ずつ選出し組を作っていきます。

コースの振り分けは組の中でエントリータイムが速い者ほどプール中央寄りに設定されるので、競技終盤に差し掛かるとプールの中は大抵綺麗な3角形型に選手が並ぶことになります。そして組ごとにどんどん泳いでいき、タイムを競い合うのです。

僕はエントリータイムをあえて遅めに設定しエントリーをしておりました。理由はビリになるのが嫌だったからという大変不純なもの。お陰で自分の泳ぐ組の中で最下位になったことはなく、上位にランクインし悦に浸っておりました。

 

そして高校3年生最後の試合、すなわち人生最後の試合も変わらず少し遅めのタイムでエントリーし試合に臨みました。

飛込み台に上がり念のためゴーグルをぐっと押さえて精神統一。この瞬間の緊張感は今でも鮮明に思い出します。

審判がレーザーピストル(光と音だけが出る物)を頭上に掲げる頃などは神経が極限まで研ぎ澄まされ、時間の経過する感覚がやや遅く感じるほど。・・・というかこの試合は遅すぎました。

審判の「用意」の号令でぐっと体に力を入れ飛び込みに備え、ピストルの音とともに解放。

人生最後の泳ぎは本当にあっという間でした。

タッチパネル(圧力を感知し選手のゴールを記録するパネル)に13年分の思いを叩きつけ、プールから上がりました。すると審判団からナレーションが。

 

「ただいま、4コースを泳ぎました森脇直樹選手はフォルススタートのため失格となります」

 

人生最後の試合を失格で締める。原因は、審判の「用意」の号令からピストル音までの間がかつてないほど長かったため、体が少し揺れてしまったからでした。

プールサイドから応援してくれていた仲間たちからメガホン越しに「直樹〜〜〜!!オメデト〜〜〜!!」と爆笑され、水泳人生に幕を下ろしたスタッフMでした。

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スポーツ~S等氏の場合~

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今月はスポーツです。
Sとーは、子供の頃からスポーツ少年でした。
例えば近所の家のピンポンダッシュ、早喰い競争(昼前に如何にお弁当を食べるかという競争)、ゲームセンターでの手の動きの訓練など、毎日がスポーツです。


ところで以下は私のスポーツ歴です。

・サッカー
毎日新聞のサッカーチームに入っていましたが、当時サッカーは人気がなく(特に女子から)、それが理由で辞めました。

・野球
ピッチャーでしたが、私がマウントで投げると、ボールが不思議とバッターに当たるという謎の現象のため、やむなく辞めました。

・柔道
小学校に入る前にやっていました。もっとも受け身の練習が痛くて辞めました。

img017.jpg・水泳
一応選手コースの前まで行きましたが、もっと普通に呼吸したいと思い辞めました。

img018.jpg・空手
小学校5年生くらいからやっていますが、琉球空手のため、敵を攻撃でないので辞めました。

img016.jpg登山
近くのジャングルジムはすべて制覇しましたが、遭難して以来、トラウマです。

img019.jpg・レーシングカート
レーシングカートやFJ1600というのに乗りましたが、車酔いがひどく、辞めました。

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以上です。

スポーツ~スタッフKの場合~

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こんにちは!・・・最近このブログは過去の暴露になっている気がしてどうも落ち着かないスタッフKです。

スポーツ!!私には縁のない世界の話です。ちなみに見た目で100%バレーボールかバスケットボールをしていたと言われますが、無駄に背が高いだけで小学生の時の子供バレー以降、特にたしなんだことはありません。

スポーツに関して言うと、そもそも私は走るのが遅い。なのにどうしてか「速そう」と勘違いされて、非常に辛い小・中・高校生時代を送りました。できるだけ、リレーに巻き込まれないよう、真っ先に「障害物競争」に立候補していたのを痛く思い出します。

唯一クラブ活動として運動部に入っていたのは高校生の時の剣道部。友人の仮入部に付き合っていただけのはずが、いつの間にか選手として始めることになりました。

中学生から始めるのが一般的な剣道では、高校からだと結構ハンデがありました。当時の女子剣道部は人数が足りず、全部で5人だったため初心者でもいきなり試合に出されるところから始まりました。ある意味スパルタ。

2年半ほどのクラブ活動で初段になりましたが、試合にはなかなか勝てなかった。

だけど1本入った時、審判3人が自分の色(赤か白)の旗を一斉に上げるその瞬間が気持ち良くて、それだけは今でも覚えています。

指の付け根は太くなるし、肩に筋肉はつくし、打撲の青あざはいつもあったけど、道着に袴を付け、10キロくらいの防具を装備した時の静けさが好きでした(耳が面でふさがれるため)。視界も遮られるので相手しか見えなくなり、静けさの中で自然と集中していきます。

今思えば、茶道にも通じる静と動が剣道にもあると思う。フォームが美しくなければ強くなれない、と教わった時は不思議に感じたけれど、無駄のない動きは強く、結局美しいのだと思えます。

 短い期間しかできませんでしたが、忘れられない好きな競技です。

 

スポーツ

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今月のテーマはスポーツです。万年筆店とスポーツ。最も相応しくないテーマという気もしますが、無茶なお題にも果敢に挑みます。

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同年代の多くの男の子と同じように、私も野球ばかりしていました。小学校3年生から高校生の途中まで野球しかしていなかったと言って大袈裟でなく、ひとつのことしかできないのは今も変わっていません。

子供の頃は、スポーツも勉強もしないといけなかったけれど、今は全てのことを仕事に結びつけてすることができるので、自分にとっては恵まれた状況で幸せだと思っています。

でも子供の頃も全てを野球に結び付けてしていればよかったのかと、今になって思ったりしますが。

 

野球が好きだったけれど、プロ野球の選手の道具に関するこだわりを知ることに、とても興味を持っていました。

バット、グローブ、スパイクなど、選手の話で道具に関することが本などで出てくると、何度も繰り返し読んでいました。

王さんはローリングスのミットを使っているとか、福本選手はカンガルー革のスパイクを履いているなどという話です。

ミズノの野球用品のカタログで、各選手のモデルの解説があって、それはワクワクしながら何度も見ていました。

阪急の山田投手は重くて大きなグローブを好み、阪神の小林投手は軽くて硬いグローブをミズノと開発しました。

万年筆ももっと有名作家と万年筆を共同開発したらよかったのにと思いますが、そういった商品は私が知る限り、梅田春夫さんとプラチナの共同開発の3776ギャザードくらいしか思い当たりません。

 

道具の手入れに関する話も大好きで、長島監督がグローブはちゃんと手入れしないといけないと、手入れの仕方などを分かりやすく書かれたものがあって、その部分が好きで何度も読みました。

グローブには、ドロースと呼ばれる固形のオイルのようなものを塗り込みます。使っているとすぐに革がカサカサになってしまいますので、ドロースをよく塗って革を保護してあげる必要がありますが、この作業がとても好きでした。

そういう手入れを全くしない人も同じチームには必ずいて、その気持ちがよく分かりませんでした。でも野球の上手い下手とはあまり関係がなかったような気がします。

グローブの質は硬式になると急に良くなって、厚く、キメも細かくなりました。

スパイクもなるべくきれいな真っ黒な状態にしたくて、靴ズミを塗って磨いていましたが、それは大人になっても変わらず、会社員時代、あまり良い靴は履いていなかったけれど、マメに手入れはしていました。

今すごく靴が好きで、暇さえあれば靴の手入れをしたいと思うのは、子供の頃から変わっていない、スポーツについて考えて気付きました。

子供から学生の間、野球に没頭して覚えたことはあまり残っていないけれど、道具の手入れをする心はその頃覚えたものだったのかもしれません。(Y)

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