2017年4月アーカイブ

桜の思い出~スタッフMの場合~

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IMG_6386.JPG※生家にあった桜の晩年

こんにちは!スタッフMです。長いものに巻かれる性格をしておりますので桜のお話をさせて頂こうと思います。

と申しますのも、新入学の思い出と言う物がこれと言って特別な物がなく、あまり印象に残っていないと言うのが本音のところであります。

その代わり桜についての思い出はそこそこあります。

 

私の生まれた家は築80年の銭湯でした。

銭湯と言えば富士山の壁画がイメージされるかと思いますが、我が湯の場合はあまりの古さに富士山の絵は霞んでしまっていてただの壁のシミに見えるほどでした。

私が生まれて3年ほど経った頃、阪神淡路大震災が発生。

震源からやや離れた明石市に住んでおりましたのでさほどダメージはありませんでしたが、男湯と女湯を隔てる大きな壁のど真ん中にヒビが入り、お相撲さんの張り手一発で男湯と女湯が開通してしまうほどの危うさを醸し出しておりました。震災後しばらくすると周りの一般家庭に家庭用風呂が急激に普及しお客様の数は激減。来てくれるお客様は超がつくほどのローヤルカスタマーばかりでしたので年々数は減っていきました。

そんな傷跡を残したまま(ある程度は修復済み)営業をしておりましたので本当におんぼろ屋敷そのもので、なにも誇れる物のない銭湯。

しかし年に1度、我が家の事を誰もが羨ましがる期間がありました。それが春、桜の咲く季節でした。

男湯側の脱衣所にある「せんだい(播州弁で前栽の意)」に1本の桜が植わっていて、毎年見事に咲き誇っておりました。(もっとも桜が終わったら地獄の毛虫まつりが)

家の年齢より年上の桜なのでもしかすると樹齢は3桁を回っていたかもしれません。

そう言う情報を知った上でその桜のことを見るとどこか仙人めいた雰囲気があるな~!と幼心に思い、根元に置かれた石の祠にはきっとカミサマがいるんだ~!と信じていました。

その桜を居住スペースである銭湯の2階部分から眺めることができ、毎年春が近づいてきたら毎日開花具合をわくわくしながら観察して過ごしていました。

 

そして私が15歳になり桜の花の数が年々減ってきたな~と思い始めた頃、我が家に猫が6匹やってきました。

まだへその緒が残っているような赤ちゃん猫がビニールに入れられ、近所の公園の草むらに捨てられているのを発見。

連れ帰っても親に猛反対されることは経験上解っていたので心を鬼にし見捨てようとしたのですが、頭上からおびただしい数のカラスの鳴き声が聞こえ、拾って帰ることにしたのです。

1年もすると立派な成猫となり家の中を好き勝手に動き回るようになりました。

そのうちの1匹はなぜかその桜のことが大のお気に入りのようで、木登りをして寄ってきた鳥を脅かしたりして遊んで、疲れると根元の祠で休憩をとったりと兎に角桜にべったりでした。

それから何年かした春の終わりに、その猫は息を引き取りました。

猫特有の白血病にかかったようです。

日に日に衰弱し、とうとう桜に上ることが出来ないまま春を終え逝きました。

なぜだか無性に桜がさみしそうに見えたので、その根本付近に埋葬しました。

それからは毎年、その桜が咲く頃になるとその猫が帰ってきたような気がして、ただただ眺めながら猫との思い出を振り返り、春の訪れを喜びつつ少し切ない気持ちになっていました。

 

数年後、お客様の減少が著しく経営し続けることが困難となり閉湯することとなり、それに伴い我々一家もこの銭湯から出ることとなりました。

引っ越しの準備が完了し、手荷物を残しほとんどの荷物を運び終えた夜、がらんとした家の中から花の散ったばかりの桜を母と二人で眺めていました。見納めと思うとずいぶん切ない気持ちになり、すこしばかり泣いてしまった事を覚えています。

家族の誰もがあえて話題に出さなかった、あの猫の事を思いました。

この桜と一緒に、ここで更地となってしまうのか、と思いました。

なぜだか無性に母がさみしそうに見えたので、その根本付近を掘り返しました。

そしてあの猫と一緒に家を出て、現在に至ります。

 

毎年桜を見ると、我が家に咲いていた桜よりずいぶん立派だな~と思いながら今は無きあの桜の事を思い出します。

私や母が産まれるずっと前からあの土地を見守り続け、毎年春の訪れを知らせてくれていた。

最後の方は枝も花もずいぶんと貧相になってしまっていたけれど、そこに何とも言えない美しさを感じていました。

今は立派な家が建ち、桜の木の気配は消え失せてしまっているけれど、思い出の中の桜は今年も満開でした。

ちょっぴり切ないですが、そんなこともあって私は桜が大好きです。

来年が待ち遠しいですね。

 

 

 

桜の思い出~S等氏の場合~

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おはようございます。(今は朝の午後5時です。起きた時間が朝です。)

今月のお題変更につき嘆願しようとし、竹の先に刺した血判書を高く揚げY様のお乗りのお籠に近づこうとする度、側に控える刀持ちのM氏に斬られていたので、投稿は大変遅れました。

今月のテーマは新入獄、いや新入学の話でしたが、そこから話を広げて良いという旨を賜ったのでそうします。

20歳くらいまでは、ほとんど意識のなかった(ボーとしていた)私なので、何やら、花びらのゲートをくぐったとか、春の日差しが暖かいとかそんなことしか記憶にありません。

しかし、入学時、又は新学期に共通しているのは、同じクラスにいるかも知れない美人探しです。

過去の戦績は一人だけ、中学二年の時に若くて美人の先生に当たり、そのまま三年生も先生のご指名で、先生のクラスになりました。(気に入られたのはきっと、先生が家庭訪問しに来た時に乗っていたバイクの空気を抜いたからだと思います。)

しかし、その前後は全て外れで、小学四年生の時の女性の先生はケンカして泣かせた思い出さえあります。

基本的に先生にも同級生にも恵まれないSトー(あくまでも悪いのは相手設定)ですが、全員敵だと思っているので同窓会には行けないと思います。

が!美人探しだけは怠ったことはありません。

それは社会に出ても役に立ち、どこへ行くにも必ずチェックが入ります。

キャバクラ・フィリピンパブなどに接待・招待の際は必ず美人探しから始まるのです。

一体学校で何を学んでいるのかと思われるかもしれませんが、これは非常に大事な事です。

しかし、そのうち気付きました。あ、Sトー美人と話が合わない。

よくよく考えたら普通の女子でさえ、小学校の時に学校の女子全て敵に回したこともありました。

美人で高学歴の人とは仕事で一緒になったこともありますが、大抵怒鳴り合いでした。

Sとう.png

う~ん、やっぱり美人に縁ないです。

 

おしまい。

 

桜の思い出~スタッフKの場合~

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桜.jpg

                    *昭和50年頃の明石公園の桜

こんにちは!スタッフKです。今月のテーマは新入学の思い出・・でしたが、一部メンバーの嘆願により桜も可、となりました。

嘆願メンバーの一人である私のテーマは「桜」な訳ですが、桜と言えば「お花見」のイメージです。

子供のころ、毎年桜が咲くと、近所の明石公園で親戚が集まる恒例のお花見がありました。

親戚が集まるので総勢20名ほどになるのですが、子供が半数を占めるので意外とまじめに「お花見」していたと思います。

明石公園には桜の時期になるとそれは大勢の人が集まって、その時ばかりは辺り一面お花見の人で賑わいます。

カラオケを持ち込んで歌う人、お酒を飲んで盛り上がる人、大声で笑う人たち。

生まれ育ったのが明石なので、明石公園は夏休みに蝉取りや写生にザリガニ釣りをし、当時公園内にあった図書館にも通いました。

学校の行事では陸上競技場を利用していましたので、よく訪れる「勝手知ったる」場所だったのです。

でもお花見の時になると、不思議な感覚になりました。

桜が咲いているからでしょうか?いつもは気づかない道が奥へ続いているのを見つけたりします。

明石公園は実は奥にも広く、子供が気づかない道があってもおかしくないのですが、なぜかいつも見つけるのはお花見の時でした。

お弁当を食べて、バドミントンをして、ちょっと桜の下で横になったりして。いとこたちと遊びながら、急に一人になりたくなってみんなと離れて散歩している時に、たいていそんな道を見つけます。一度、その知らない道へ入ってみたことがありました。

ずいぶん奥だけど、つきあたりに大きな桜が見えました。そこまで行ってみよう。そう思ってしばらく歩いていると、その道には桜は咲いているのに誰もいないことに気付きました。さっきの道まではたくさんの人で賑やかだったのに。

そういえばつきあたりの桜の下にも、お花見の人たちの姿はありません。

なんとなく、このままあの桜の下まで行くと、二度とみんなのところに戻れなくなる気がしました。

急に怖くなって、半分ほど来たところで引き返しました。振り返ることなく、一目散に走ってみんなのいるところを目指しました。

その道を抜けて角を曲がると、お花見の人の賑やかな気配がぶわっとしました。それで急に安心して走るのをやめて、いとこを探しました。そんなことはないはずだけど、振り返ったらさっきの道がなかったらどうしよう、とか思いながら。

 

そういう道は(あちこちにある。)お花見の時期にだけ何度か見かけたけど、どれにも絶対入らなかった。

おそらく桜が咲いているから普段見えていない道に目が行くだけで、普段もそこにある道なのですが。

 

最近、同じく明石公園が庭だったという同い年の方と話しましたが、当時は公園にまつわるちょっと怖い話も結構あったそうです。確かにお城だし、お堀の周りには柳だし、奥の方に池もあるし・・。教えてもらうまで全然知りませんでした。

 

すっかり大人になった今でも、「あれ?こんなところに道あったかな?」ということが公園でなくてもありますが、そこを通ってみても帰れなくなることはなく、ただの抜け道なのでした。

「子供のころ」と「桜」が絡むとちょっと妖しげに聞こえますね。

 

 

新入学の思い出~贈られた万年筆~

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今月のテーマは新入学の思い出です。各人遥か遠き日の桜の下での出来事を振り返ります。

 

自慢できる高校3年間を過ごしたわけではなく、当時の私は本当に何の役にも立たないクズで思い出したくない日々ですが、卒業して30年近く経ってから卒業した高校が縁で良い出会いに恵まれたので、高校生活も無駄ではなかったと思っています。

そんな高校生活が始まった時に、長野の叔母から万年筆をもらいました。

今では新入学に万年筆を贈るということは昔話のように言う人がいるほど、一般的ではなくなってしまったけれど、当時も叔母は何とも古風なことをする、叔母さんらしいと思いました。

万年筆というものに憧れはあったし、文章を書くことは当時から好きだったけれど、使い方が分からなかったこともあり、すぐに桐の箱に入れて机の引き出しの奥に入ったままになりました。

大学を出て1年間のフリーター生活の後に就職した文具店で万年筆クリニックというものがありました。

万年筆メーカーからペン先調整をする職人さんが来て、お客様が書きにくいと思っている万年筆を書きやすくするというものですが、震災直後の万年筆クリニックの時に叔母の万年筆のことを思い出して、持って行って職人さんに使い方を教えてもらいました。

それは尻軸は回るけれど、母が持っていたような吸入式ではなく、ボディにスポイトで直接インクを入れるインキ止め式というタイプの万年筆でした。

当時の私は字を書くのは手帳だけでしたので中字くらいのペン先を「もったいないのお」と言われながら細字に削ってもらいました。

長くなるのでその後のことは省くけれど、それから日常的に万年筆を使うようになって、今の自分が居る。

そこで万年筆を使うようにならなければ自分は今ここにいないし、高校入学の時に叔母が万年筆をくれなかったら自分は万年筆を手にすることはなかっただろう。

1本の万年筆が人の生き方を変えたということを、私は身をもって経験しました。

万年筆を若い人に贈られるお客様に「贈ってすぐに使わなくても、その人が使いたいと思った時にすぐに手元にあることが大事です。手元になければ万年筆を使ってみたいという気持ちになってもすぐに忘れてしまうかもしれません」といつも言います。

あの時引き出しの一番奥にあった万年筆を贈ってくれた叔母にはものすごく感謝している。

この店を始めてから、その万年筆が高田の馬場にある古屋万年筆店のものであることが分かり、わざわざ東京まで行って買ってくれたことが分かり、この万年筆が引き出しの奥に仕舞われたままにならなくてよかった、叔母の想いを無駄にすることにならなくてよかったと思っています。( Y)

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